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無限大な夢の後の

・Butter Fly

無限大な夢のあとの 何もない世の中じゃ
そうさ愛しい 想いも負けそうになるけど

butter fly(唄:和田光司)  

上記の歌詞は1999年に東映で放送されたアニメ、「デジモンアドベンチャー」の主題歌に起用された、和田光司さんの『Butter Fly』の一部である。

『デジモンアドベンチャー』とは、9人の選ばれし子供たちがデジモンと呼ばれるモンスターと共にデジタルワールドや東京を舞台に、世界の悪と闘う冒険譚で、放送当時幼稚園生だった自分は毎週日曜日の朝を心待ちにするほど、このアニメにのめり込んだ。
数々の苦難をパートナーデジモンと協力して乗り越えながら子供たちが成長していく、今となっては世にありふれた子供向けアニメながらも、放送当時に問題になっていた社会情勢、どこにでもあり得る家庭内問題などを適度に散りばめた奥深いアニメの側面も持ち、放送終了後も何度も見返すほど夢中になった作品だった。

何度も見返して、その度にこの主題歌を聴いて、そうして自分は大人になった。
その過程でいつしか、ふとこう思うようになったのを覚えている。

『選ばれし子供たちは子供のうちにこんな素晴らしい冒険と出会いをして、大人になった時の物足りない世界に耐えれることができるのだろうか』

物語の設定上、舞台となったデジタルワールドには子供しか行くことができず、大人は立ち入ることができない。
いずれ主人公たちも大人になり、かつて冒険を繰り広げた世界に立ち入れなくなる時が来る。
そうなった時、彼らは現実世界に物足りなさを感じてしまうのではないか。
そんなことを、子供ながらにいつしか考えるようになった。

そして更に歳を重ね、彼らの姿が自分に重なるようになった。

『自分はサッカーを辞めた後、サッカーのない世界で生きていくことができるのだろうか』

何度も自問自答してきたけれど、答えは見つからなかった。
見つけようとすらしなかったのかもしれない。
それくらい、サッカーは自分にとって不可欠な存在であり、自分がサッカーを辞めることなど想像もつかなかったからだ。

だが、その『無限大な夢の後の 何もない世の中』は、2022年6月に半月板損傷という大怪我と共に突如自分の目の前に現れた。

・何もない世の中

デュッセルドルフ中央駅

6月13日、自分はこれまで続けてきたサッカーを辞めると宣言した。
引退と名乗るのは烏滸がましいほどの無名選手だったけれど、それでも自分が生きてきたこれまでの28年で最大ともいえる大きな決断だった。

世界各国を渡り歩き、その先々で素晴らしい出会いと困難に直面しながら大好きなサッカーでお金を貰ってプレーするーーーー。
そんなまさに『無限大な夢』のような時間を、これまで自分は過ごしてきた。
だが、その無限大な夢の“後”に待っていたのは、正真正銘『何もない世の中』だった。

最初の数日はまだ良かった。
夜中にマクドナルドを食べたり、1日3食ラーメンを食べたり、これまで現役時代には出来なかったことを気兼ねなくできる生活は新鮮で、何よりサッカーのことを考えない生活は気が楽で楽で仕方がなかった。

だけどそれも数日で飽きてしまうと、日に日に世界は色褪せていく。
海外渡航の費用を貯めるために働くことも、コンディションを保つために気を遣う食事も、キツい筋トレも、何もする必要がない。
殆どの目的がサッカーに直結していたため、そのサッカーが消えたことで、自分は生きる指針を完全に失ってしまった。
生活は乱れ、食欲は失せ、今が何時なのか何日なのかも曖昧になり、今朝は何を食べたのか食べてないのか、そもそも自分は生きてるのか死んでるのか、そんな当たり前のことが分からなくなるほど、まさに廃人のような堕落した生活を自分は過ごしていた。
そんなクソみたいな生活を2週間ほど続けて迎えた6月30日。
8年前に『無限大な夢』が始まった街、ドイツのデュッセルドルフに自分は降り立った。

・8年前と今と

8年前に住んでいた家の前の通り

今回デュッセルドルフにやってきたのは、とある選手のエージェントの同伴だった。
これはもう半年ほど前の1月から決まっていた仕事だから、この言葉を使うと後付けにしかならないのかもしれない。
だけど春にスロバキアで半月板損傷という大怪我を負ってサッカーを辞めた今の自分が、仕事とはいえ8年前に旅が始まった街に戻ってくるのには何かの導きがあるのではないかと、そう思わざるを得ないほど不思議な何かがあるような気がしてならなかった。

渡航してきた選手は19歳。
自分が8年前にこの地を踏んだのが20歳の時。
まさに当時の自分と殆ど変わらない歳の選手と、サッカーを辞めた自分は約2週間デュッセルドルフで一緒に時間を過ごした。
デュッセルドルフはあまり記憶の中の風景と変わっていなかったと思う。
そのあまり変化のなかった街で、俺は選手のサポートをする傍ら、かつて自分が住んでいた家の前の通りや所属していたクラブのグランド、よく通った店など、思い出深い場所を当時聞いていた曲のプレイリストを作って、それを聴きながら何ヵ所も訪れた。

8年前と同じ場所に立って、同じ景色を眺める。
たったそれだけのことだけど、自分にとっては何かの儀式のような意味があることのように感じた。

ドイツ8部で初めて契約書にサインした時、微かだけれども確かに夢への道標が見えたこと。
バイト先の寿司屋で社長や社員たちに時に厳しく時に温かく、可愛がってもらったこと。
サッカーがうまくいかず日本に帰りたいなと思ったこと。

あの時、自分がこの場所に立って何を思って何を考えていたのか、8年の月日の中で忘れていたあの日の記憶が、次から次に顔を覗かせてくる。
8年前と変わらないデュッセルドルフの景色は、俺が忘れかけていた沢山の記憶を、埃を被った宝箱から引っ張り出してくれた。
まるでタイムスリップをしたかのように同じ場所に立ち、いつしか忘れてしまっていた記憶たちが蘇ってきた時に感じた感情を、自分は言葉で言い表すことができなかった。
だけど、一つだけ確かに分かったのは、あの頃の自分は今よりも何百倍も夢に一直線で、そしてサッカーを愛していたことだけだった。

・旧友

かつて所属したドイツのクラブ

今回選手に紹介したクラブは2チーム。
過去に自分がプレーしていたクラブと、そのクラブでコーチをしていたギリシャ人が監督をしている別のクラブだ。
どちらのクラブにも8年前の自分を知る古い知人がいて、そして彼らは8年ぶりだというのに自分の存在を鮮明に覚えていて、当時と変わらず温かい笑顔で再会を喜んでくれた。

「今はどこでプレーしているんだ?」
「SNSでプレーを見てたけど、本当にいい選手になったな」
「デュッセルドルフに戻ってプレーする予定はないのか?」

ドイツ流の挨拶である硬い握手の後、満面の笑みで抱きつきながらそんな言葉を掛けるかつての友人たちを見て、心がひどく痛んだ。

俺はスロバキアで半月板を損傷してしまった。手術なしではもうサッカーができず、手術をしてもかつてのようなプレーができる保証はない。だからもうサッカーを辞めたんだ。

自分は彼らに同情してほしいわけじゃない、辞めたことを引き留めてほしいわけでもない。
だからこそなるべく精一杯の平静を装って、そう伝えたつもりだった。
だけど彼らはその言葉を聞いて、ひどく落ち込んで寂しそうな顔をした。
寂しそうな顔をした彼らは何も言わずに話を聞くだけで、日本の友人たちのように優しく「お疲れ様」とは一言も言わなかった。

・未練

ケルンのお店にて

特に予定がなかったとある平日の日、当時バイトをしていた寿司屋でお世話になった夫婦に会いに、隣町のケルンまで足を運んだ。
その夫婦の方は当時から金もない学もない礼儀もないのクソガキ三銃士だった自分をいつも気に掛けてくれていて、ドイツを離れた後も自分のサッカー活動を常に応援してくださった、まさに「サポーター」と言っても過言ではないほど支えてくれた人たちだった。

「ドイツでこれまで何十人もサッカー挑戦できた選手を見てきたけど、君ほどサッカーに一途に打ち込み、頑張ってきた選手を見たことはないよ。本当にお疲れ様」

引退を決めたと知っていた主人の方は、何度も何度も自分にそう言ってくれた。
だけど、自分はその言葉を聞いて妙な後ろめたさを感じていた。
お世話になった夫婦の方々は40歳過ぎに日本で脱サラし、日本食レストランを経営する目標を掲げて、縁もゆかりもないドイツに渡航。
そして実際にその夢を叶えて、現に今はデュッセルドルフの隣町であるケルンでお店を開いている。

難しい夢にチャレンジし、そして実際に叶えて見せた二人。
それに比べ、自分はどうだったのか。
夢を自分の手で叶えてみせた二人にその言葉を掛けられるほど、本当に頑張ってきたのだろうか。
もっともっとやれること、やるべきことはあったのではないか。

サッカーを引退して一度も考えなかったそんなifたちが、堰を切ったかのように肺の底から湧き上がってくる。

半月板損傷は確かにサッカー選手としては致命傷だ。
この怪我を機に引退する選手だって多くはない。
だけど、それでも、このタイミングでサッカーから身を引いたのは、本当に自分にとって正しい決断だったのか。

こんなところで旅を終えるつもりはなかった。
まだまだ叶えたい夢があったはずだった。
自分の帰りを待ってくれているクラブの人たちとの約束も、まだ果たせていなかった。
それなのに、怪我を理由にサッカーを引退して、自分は本当に納得できていたのだろうか。

自分が本気で努力して夢を掴んだ人から、「本当に頑張ったね」と言ってもらえるほど人間だと思えなかった。

その日、家に帰ってあの頃と変わらない月を眺めながら色んなことを考えた。
かつての知人に会って、彼らがサッカーを辞めると告げた自分に悲しい目を向けたことも、自分より何倍も難しい夢を叶えた人に労いの言葉をもらっても心の何処かでしこりを感じていたことーーーー。

自分とて、安易に引退を口にしたわけではない。
本気でこれ以上サッカーに向き合えないと思って、何より自分の中でサッカーに対する熱が未だかつてないほどの勢いで引いていくのを感じて、その上で出した結論だった。
だけど8年ぶりにデュッセルドルフに訪れて、当時の自分と同じくらいの歳のサポート選手が頑張る姿や今でもサッカーを頑張り続ける友人、実際に夢を叶えた人に会って、その決断が初めて揺らぐ。
果たしてあの時の決断は本当に正しかったのか。
この終わり方で、自分はこの先後悔なく生きていくことができるのか。

その答えを、デュッセルドルフに滞在していた2週間で見つけれればと思っていた。
だけど、その答えが見つからないまま、とうとうデュッセルドルフを離れる日が訪れた。

・やっぱりサッカーが好き

サポート選手が契約したクラブのグランド

サポート選手の頑張りもあり無事にクラブが決まって、自分の仕事はこのnoteを書いている7月13日で終わってしまった。
本音を言うともうちょっとデュッセルドルフに残りたかった。だけど理由もなく滞在すると当然滞在費はかさむため、後ろ髪を引かれる思いではあったがデュッセルドルフを離れることにした。
この約2週間で、過去を懐かしみ旧友との再会に悦びを感じ、そんな日々の中で実に色々なことを考えさせられた。
結論は結局最後まで出なかった。
正直なところ、やれるのであればサッカーはしたい。
だけどそれが後悔のない選択なのか、まだ確証が持てないというのが今の本音だ。
それに加えて、サッカーでお金を貰う世界はやりたいという思いだけでやれる世界でもないことだって分かっている。
怪我をしてパフォーマンスが落ちた若くない選手を、わざわざお金を払って獲得するクラブがあるとは思えないし、自分も納得のできないプレーをしてまでサッカーにしがみつきたいとは思わない。
半月板損傷をしてしまった以上、もう怪我をする前の自分に戻ることはできないのだから。


だけどそれを差し置いても、8年ぶりにデュッセルドルフに訪れて、あの頃の下手くそで不器用ながらもサッカーに真摯に向き合い、とてつもない大きな夢を追っていた過去の自分の面影を感じて、とてもとても大切な事を思い出すことができた。

『サッカーは自分にとって、かけがえのない存在なのだ』

サッカーを辞めた時、もう2度とサッカーに携わりたくないと思っていた。
自分がもう一度ピッチに立つことはおろか、一人のファンとしてサッカーを観ることさえも、もう2度とできないと思っていた。
だけど、こうして不思議な縁で旅が始まった街に戻り、自分の過去に触れて、あの頃の自分が少しだけもう一度サッカーに向き合う勇気をくれているような気がするのだ。

本当にほんとうに、デュッセルドルフに来てよかった。
サッカーを辞めた今だからこそ此処に来ることに理由があって、そしてこの街で感じたこと、見た景色、全てに意味があったのだと思う。


最後に、今回は仕事でデュッセルドルフを訪れただけで、当然ながら目的は過去の思い出に浸ることではなく選手のサポートを行い、夢への挑戦のお手伝いをすることでした。
そこに私情は挟むようなことは一切せず、常に選手ファーストでサポートをしてきたつもりです。
だけど未熟故に至らない点、不安にさせてしまう点、たくさん改善点があったかと思います。
ですがそんな自分を最後まで信じ、夢を託してくれた選手とそのご家族の皆様、本当に本当にありがとうございました。
この場を借りて、心より深く感謝申し上げます。
彼のドイツでの挑戦が少しでも実りある時間になること、そしてデュッセルドルフから始まる彼の物語に素晴らしい出会いと経験が訪れることを、心の底から祈っています。
彼の無限大な夢を、今後とも微略ながら応援できたら幸いです。

デュッセルドルフを離れてしまいましたが、実はまだ日本には帰りません。
帰る前にもう一箇所、立ち寄らないといけない場所があって、そこに寄ってから日本に帰ろうと思います。
帰国便は現地の土曜の午前中、既に帰国前のPCR検査で陰性だったので問題なく帰国できるはず。
もう少しだけ続くヨーロッパの旅、全ての用事が片付いた後にもう一度noteを書こうと思います。

それでは、また。

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