はがゆさ
最近、母はウクライナの惨状について嘆く。話をするたびだ。古い記憶が蘇るのだそうだ。
母はいま83歳で、第二次世界大戦終戦時は6歳だった。戦時中の記憶を持つギリギリの年齢だ。
幼児の記憶だから、誇張されてメモリされていることも考慮しなくてはならないが、それを差し引いても、80年近く経ったいまでも忘れることはない、恐怖の記憶に違いない。
母には故郷がない。もちろん、祖父母が健在な頃は実家はあったが、生まれ育った場所、という意味において、ひとところに落ち着いて成長してきたという経験を持っていない。疎開を繰り返したことが一因だ。
母が最も忘れ難い土地は、神戸だ。ここで空襲に遭っている。魚崎に住んでいたらしいので、昭和20年6月の神戸大空襲のことだろうと、ワタクシは推測している。
この空襲下、浜辺を走って逃げた話は、子どもの頃から何度となく聞いた。横を走っていた近所のおばさんに機銃掃射の銃弾が当たり、おばさんが「肉屋さんに吊るしてある枝肉」のようになったそうだ。
改めて思えば、そんな中、よく生き延びてきたものだ。
攻撃を受けたウクライナの街を見ていると、このときの記憶が蘇ってくると言う。路傍に横たわる数々の遺体を見ていると、枝肉になったおばさんを思い出してしまうのだろう。
ワタクシは、幸運にもこの年齢になるまで戦争に遭わなかった。一生、戦争とは縁のない生活を送るものだと思っていた頃もあったが、いまは、そう都合のよい人生を送れないかもしれない、と感じている。ロシアの西隣はウクライナだが、東隣は日本だ。
戦争とは正義と正義のぶつかり合いだから、簡単に決着はつかないだろう。かといって、一般市民があのように命を落とすことが正義のための犠牲だということには、納得がいかない。
ウクライナには、あのときの母のような思いをしている人がたくさんいる。戦争が終わっても、みな、いつまでもいつまでもこの戦争を忘れることはないだろう。母のように。
正義対正義。横から誰かにちょっと何かを言われたくらいで、引っ込められるものではない。どちらも自分たちが正しいと思っている。
そしてウクライナにとっては、国の存亡の危機。白旗を上げれば殺戮が止まり解決する、という単純なものではない。
30数年前、湾岸戦争の折、つい先ほどの戦闘状況がニュース映像で流れたとき、とんでもない時代になったと、若かったワタクシは感じた。
あれから科学技術は進歩し、現地の方の悲痛な思いは、実況とも言える形で世界に配信されている。
何とかならないだろうか。何とかならないだろうか。
戦争という手段を取らずに、解決する方法があればいいのに。
話し合いという手段は、現状では無力すぎる。
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