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しなやかになど生きられない

 サラリーマン生活を卒業してから、早や1年3ヶ月が過ぎた。勤め人だった頃は、「毎日家にいたら、何して過ごせばいいんだろう」と思っていたが、いたらいたですることがあるではないか。

 時間を家事に費やすだけではない。もともと、如何に家事に手を掛けずに効果を得るかを考えながら働いていたので、家にいる時間が増えたからと言って、突然「丁寧な暮らし」な人間になれる訳ではない。これまで在宅ワーカーであるダーリンに80%頼っていた家事を、50%くらいは引き受けるようになったというところだろうか。

 家事よりも、これまで30年近く思うままにならなかったことに、少しずつ時間を充てることができ始めた。
 ・猫たちと過ごす
 ・断捨離する
 ・読書する
 ・お気に入りの服を修繕する
などなどだ。

 そして今の生活に慣れてくると、「よく毎日通勤して、仕事して、人間関係に揉まれてたなあ」とつくづく思う。子どもが大人になるくらいの年月を一心に費やしてきたのに、ほんの1年数か月前が、何だかもう遠い昔の出来事のようだ。

 そう感じるほど、最後の1年のワタクシは、精神的にきつい日々を送っていた。仕事は気に入っていたのだけれど、最後の最後で上司のアタリが悪かった。

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 断捨離作業中に、若かりし頃に切り抜いてスクラップブッキングしていた新聞記事が出てきた。1998(平成10)年11月8日の記事だ。新聞名がわからないが、当時のワタクシが接していた新聞は、北海道新聞か日本経済新聞。しかし、紙面の白っぽさはどちらでもないような気がする。シャーロック・ホームズの才があれば、一記事あれば充分に新聞社を特定できるのだが、残念ながらワタクシはそのような特異な才能を持ち合わせていない。

 記事は「新・職場を生き抜く法」と題され、この日のテーマは「上司に合わせる柔軟性を」となっている。著者は、産業カウンセラーとして今もご活躍の方だ。

 読み直した。
 若く、まだキャリアが10年に届かない頃のワタクシは、この内容に感ずるものがあって記事を取っておいたらしい。

 写真を撮って記事をこの場に上げればわかりやすいのだが、著作権法に抵触するので、控える。

 記事を要約すると、

「ストレスになる合わない上司を変えたいという、永遠に不可能なことを考え続けるよりも、自分が変わって上司に合わせる方がしなやかに職場を生き抜くことができる」

というものだ。

「相手は環境適応力に欠けるため変化できないが、自分は適応できる。人事評価では『柔軟性がある』ということになる」

ともある。

 これによると、ワタクシはしなやかに職場を生き抜くことができなかったということになる。
 そうかもしれない。

 でも、壊れるよりはずっとマシだ。

 ワタクシは、自分が壊れる前に逃げ出した。
 最後の上司は、ワタクシにとっては天敵だった。「世の中にこんなに意地悪な人間が存在するのか」と思うくらいだった。「こんなに厳しい人間」であれば対応できたかもしれないが、この上司は底意地が悪かった。この上司に合わせて生きていくことなど、到底できなかった。

 「しなやかに生きる」って何だろう。
 しなやかに生きられる人って、強い人ってことだろうか。
 ワタクシはしなやかになど生きられないし、そのつもりもない。

 逃げないで戦える人はそれでいい。
 でも、逃げなければ潰される人もいる。自分が潰されるまでがまんし続けるなんて、時間の無駄遣いだと思っている。

 しなやかに生き抜くことができる人は、ほんの一握りではないだろうか。
 20数年前は、きっと多くの人がしなやかに生きることを望んでいたのだろう。あの頃は、周囲はガツガツして見えたから。

 今のワタクシには、しなやかさはいらない。

興味を持ってくださりありがとうございます。猫と人類の共栄共存を願って生きております。サポート戴けたら、猫たちの福利厚生とワタクシの切磋琢磨のために使わせて戴きます。