Arrow allows a law 序章(ジョジョ4部二次創作)

序章

 1989年のことである。
 その冬の日は、杜王町18年ぶりの大雪だった。
今でこそ閑静な住宅街として人気のある町だが、その頃の杜王町は開発途中であり、家々どころか交通網すら殆ど存在しなかった。
 都市計画はあったものの、農地として活用されているため、民家は数キロごとに点在するような有様だった。故に、黒く暗い雪景色が一面に広がっていた。
 弱者を打ち据える降雪の中、一台の車が農道を走っていた。
 運転するのは一人の女性。美人だが、「やるときはやる」という意志に溢れた強い眉毛が印象的だ。その車の後部座席では、朦朧とした赤い顔の幼子が横になっていた。原因不明の高熱にうなされる自分の子供を、彼女はS市内の病院に向かって運ぶ途中だった。
 ギュルギュルという音がする。スノーチェーンを付けているにもかかわらず、タイヤが空回りする音だった。町の人が予測不可能なほどに、農道は雪が降り積もっていた。タイヤは既に埋まり、車は立ち往生してしまった。
「だめだわ……近くの電話で救急車か誰か呼ばなくっちゃ……」
 しかし、辺りを見て彼女は青ざめた。ヒュウヒュウという吹雪の音の中、家の明かりなど一つもない。あと何キロで民家にたどり着くのかすら予測不可能だった。
「なんてことッ! 家にいる時救急車を呼ぶんだったわ!」
 救護の人に「ただのカゼですよ」と言われても、自分の子供をこの雪の中に連れ出すのではなかった。彼女は後悔した。
 だが、「後悔」こそが人を次なる道へ進ませるのだった。
 その時――
 ふと彼女がバックミラーを見ると、雪の降る夜道にガクランを着た少年が車をのぞきこんで立っていた。
 不思議な立ち方だった。雪の中に両足を突き立て、やや後ろにのけぞるようにして、少年が白の中に己の存在を誇示していた。
 とっさに彼女は本能的に警戒した。何故ならその少年の顔は、暗くてよく見えなかったのだが、明らかに青アザや切り傷があり、唇からは血がにじんでいたからだ。
 まるで、今正に殴り合いをしてきたぞと誇示せんばんかりの風貌だった。
「何の用? あっち行きなさいよ」
 眉を吊り上げ、彼女は一杯の威嚇の表情を作った。
 彼女は後になって振り返る。この瞬間、世界は無音だった。強い風も降る雪も、沈黙をひたすら守っているようだった。
 それほどに、次の言葉がはっきりと聞こえた。
「その子……病気なんだろう? 車押してやるよ」
「え?」
 その少年の見た目からは、およそ推測不可能な言葉だった。彼女が聞き返そうとすると、少年は着ていたガクランを脱いだ。
 空中に舞う雪を払いのけ、ガクランが翻った。発光しているように見えた。
 少年は、躊躇いもせず、ガクランを車の後輪の下へ敷いた。
「さっさとアクセル踏みなよ」寒空の下でTシャツ1枚になった少年が言う。車の後ろに回って押す準備をしている。「走り出したら止まんないでつっ走りなよ……また雪にタイヤとられるからな」
 相変わらず少年の顔は見えなかったが、彼女が今でも鮮明に覚えている特徴があった。少年の髪型である。
 その髪型は、巨大なリーゼントであり、まるで敵艦隊に特攻する潜水艦のようでもあり、フランスパンを頭に乗っけているようでもあった。
 普段の彼女なら、その髪型を笑っただろう。だがそれどころではなかった。彼女は必死にアクセルを踏み、少年のガクランを滑り止めとして乗り越え、一気に走り出していた。
 きっと少年は、その後チェーンでズタズタになったガクランを着て、雪の中を帰ったのだろう。どこの誰かもわからない病気の子供のために、不良にとっては勲章であろうガクランを犠牲にしたのだ。
 彼女は後ろを振り返らなかった。だから少年がどこへ行ったのかもわからない。ただ自分が行くべき道のみが、目の前にあった。
 だが、彼女の子供はしっかりと見ていた。これから50日の間意識を失うことになるのだが、その子供は見ていた。高熱にさいなまれながらも、自らの勲章を人の足元に投げ出す誉れの行為を見ていたのだ。4歳の子供は、その少年の行動をヒーローだと思った。薄れていく意識の中だからこそ、無意識が英雄を記憶に刻んだ。ガクランの少年が、心のそこに焼きつく「あこがれ」となった。4歳の子供の、「生き方の手本」となったのであった。
 東方仗助ひがしかたじょうすけがその少年にあこがれて、その少年と同じ髪型にするようになるのは、それから約十年後のことである。


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