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何のためにお金儲けをするのか

例えば自分の夢がカフェを経営することだとしたら、その夢を叶えるために資金が必要なのでお金を貯めたり、あるいは借りたりする。

そのカフェが軌道に乗って、もしお金儲けができたら、そのお金は何に使うんだろう?

さらにお店が大きくなったり、有名になるように投資する?
それで仮にもっともっと大きくなっていったとしたら・・・
さらにお金が入ってくる。そしたらさらに事業を拡大していこう。

・・・
・・・

果たしてそれって本当に自分が望んでいたことなんだろうか・・・?

最初の自分の夢はお店を持つこと。
それがいつの間にか、店を大きくすることに変わっていき、有名になることに欲を出していく。

何のためにお金を儲けるんだろう?と言われた時に、あまり考えていないと、多分そんな感じで行き当たりばったりな感じになっていき、最終的に自分は何を目的としてこの事業を始めたんだろう?というふうに迷走していく・・・

あまり考えないとというか、あまりに必死に人生が終わらないように突っ走りまくった結果、生きるためにその選択を取らざるを得なくなっていってそうなっていくのかもしれない。

お店を持ったから次はその店の認知度をもっと広めよう。
認知度が上がってきたから次は好きなものを作ろう。
好きなものが作れたから・・・といった具合に一つハードルを超えると、次のハードルが見えてきて、必死に避けて飛んでいく。

なんて考えていたら、当初の目的なんてあっという間に過去のものになっていき、気がついたらとんでもない高いところまで登ってしまっていったといった感じだろうか。



何のためにお金儲けするのか?
幸せになるため?
どのくらい儲けたら幸せになるのか?
100万円?もし稼いだとして、本当に幸せだと思えるのか。

もっと稼ぎたい、もっと遊びたい。
ある程度自分の中の幸せというもののボーダーラインを決めておかないと、どこまでいっても満足しないままになりそう。

そしていつかその無茶のせいで、終わる。

だからどこかで決めないといけない。

そしてそれは自分の方にばかり矢印が向かないようにしないといけないのかもしれない。
周りの人たちが幸せになる方法とか、あるいは世界中の人たちがといった調子で、お金を使うところというのを自分から他人へとチェンジしていかないといけないのかもしれない。

自分だけで完結していたらきっと虚しさとかが襲ってくる。
『どうしてこんなことやっているのだろう?』『誰も見ていないのにこんなに取り繕う必要があるのかな?』とか

幸せは誰かと共有できるから幸せなんだと思う。

たった一人で感じることのできる幸せというのはたいそうちっぽけなものだろう。

だから、何のためにお金を儲けるのか?と聞かれた時にはこう言う。
『人と幸せを共有するため』

虫唾が走るようなクソみたいなことを言ってしまったのなら謝る。
偽善だろうと言われてしまったのなら、それは仕方がない。そう言うふうに捉える人がいるのもまた事実。

でもそう言う人たちに問いたい。

『何のためにお金儲けをするの?』と

どんな素晴らしい答えが返ってくるだろう。
もしかしたら素晴らしくも何ともないかもしれない。自分が思いもしなかった回答が来るかもしれない。

それでもいい。それだから面白いのかもしれない。

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