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いかにも資本主義的・・・

なのかどうかはわからないけど、お金にならないような活動は意味がないと思っているようだ。

ある意味そういう思考の人が多いから表立って芸術系のことをやっていると口にする人が少ないのかもしれない。

もしかしたら、潜在的にそういう活動をしている人はいるのか。

馬鹿にされたとか、ネガティブな言葉を突きつけられたというようなことは回復するのに時間がかかる。

だからなるべく雑音は入ってほしくない。
その雑音がなかったら・・・と思ってしまうこともある。
そういうものがあって当然でいかにスルーするかというのが大切だったりすることもある。

今この社会にある仕事の中でも、こんなもの意味があるのか?とか、誰が買うんだよというようなものがあったりするけど、それはお金になっているから口にはしなかったりする。

お金にならないことというのはやる意味あるの?と言ってもなんとなく許されるみたいな風潮があるのだろうか?

先日、音楽ライブが私が働いている場所であって、ライブ終了後に軽く打ち上げがあったので、少し話を横から聞いていた。

アーティストの方たちは何もないところから音楽というものをつくりだしている。歌詞を書いたり、楽器を鳴らしたり、歌ったり。

そういうことをやることの大変さがわかっている者同士の会話は濁りがなくて、澄んでいる印象。

否定の言葉とか、相手を下げるような言葉はそこにはなかった。

お互いがお互いを尊敬しあって、言葉一つ一つを丁寧に噛み締め、そして丁寧に口から出している印象。

何事にも丁寧になったり、リスペクトが強くなるその気持ちはここ最近で非常によくわかるようになった。

何かを作り出している人は強い。
そして作り続けている人の重みはすごい。
ズシっとくる重力。胸に突き刺さるような感じ。

お金を生み出すことばかりに気を取られてしまっていたら感じることのできない感覚。そしてそういう感覚が人生を豊かにする上でとても重要だということ。お金が全てじゃないと多くの人が知った時に過去の偉人たちが夢に見た、本来の人間らしい生き方というのが顔を出すのか。

私欲を満たすためだけに人を動かしたって、何にもならない。

余計に自分の心が貧しくなる。そしてその貧しさを埋めようとして、また人の労働力に頼って必要以上のお金を生み出そうとする。

そこに何があるんだろう?愛は確実にない。虚しさ?惨めさ?無力さ?

いつの時代も人への愛が一番強い力を持っているのかもしれない。

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