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夢も希望も欲もない人間の気持ち
あれが欲しいこれが欲しい、こんな生き方がいい、こういう人になりたい。お金持ちになったら大きな家を建てて、幸せな生活をするんだ!
というような感情が消えている。
生きているってのに、欲を表に出さない。
出せないのか?出し方をわかっていないのか。
自分の思っていることを口に出したら、何かが終わってしまいそうな気がしてほとんど口にしたことがない。
友達はもちろんのこと、家族にも自分の本当の想いとか、そういう感情を出したことがほとんどない。
なんなんだろう?
何が自分をそこまで縛り付けているのだろうか?
小学校一年生の時、私は95%遅刻していた。
朝はちゃんと起きてるし、みんなが登校する時間には自分も外に出ているはずなのに、遅刻していた。
学校に行きたくなかった。それはイジメられているとかそういう深刻な問題じゃなくて。
4つ下の弟がいるのだが、弟と母が自分が学校に行っている間に、どこか遠くに行ってしまうのではないか?という不安を抱えながら登校していた記憶がある。なぜかずっとそんな寂しさがあった。
家族というものを信じていなかったのか、どういう心境だったのかは今となってはもうわからないけど。
ずっと遅刻するもんだから、校門の前まで弟と母はついてくる。そして、自分が学校に行くのを見届ける。そして帰る。
学校の中まで入ってもなお、先ほどの思いが頭をよぎってまた外に出ちゃう。いつまで経っても遅刻しないで学校に行くという当たり前のことができない。
でも結局、学校に入ってしまうと、友達がいて楽しくお勉強をして、放課後には公園で遊び、日が暮れるまで遊んで、帰っては親に心配され、怒られて。
そんな毎日の繰り返し。
また次の日の朝になると、母と弟がいなくなってしまうのでは?という不安から学校に行くのを躊躇うという繰り返し。
何がそこまでそうさせていたのかはわからないけど、もしかしたら未だにそういう気持ちがあるのかと思うことがある。
自分の周りから好きな人たちがいなくなるのをひどく嫌い、自分はその気持ちを抑えるために殻に籠り。
深い部分で何を考えているのかわからない。
それは他人も自分もわかっていないという感じ。
わかってくれた人が現れたときに、心の底から嬉しく思うんだけど、それと同時に、当時と似たような不安とかが自分を襲う。
なんなんだろう。
小学校の高学年とかになると、書道で将来の夢を書いたりする。
みんなそれぞれ、『プロ野球選手』とか『サッカー選手』とか『ケーキ屋さん』『警察官』『学校の先生』だなんて書いたりしているけど、自分に将来の夢なんてなかった。
将来のことなんて考えたこともなかった。
今を生きるだけで満足していたのか、何も知らないだけなのか。
だから未だに将来どうなりたいとか、夢とか、欲なんてものがない。
漠然と幸せになりたいとかは思っているんだけど、自分の中で何が幸せなのかまで、考えたことがない。
思い通りにならなかったり、思っていたのと違ったりするのが怖いのかもしれない。
臆病な人間だ。
苦しみとか、不安とか、そういうものから逃げてばかりで、真剣に生きていない。ただ死ぬのを待っているかのようだ。
誰かがきっかけを作ってくれないと、自分の人生すらまともに考えすらしない。怠惰。
ということに気づいたんだから、今から精一杯生きてみようかな。
なんとなく生きていても、なんとなく死んでいくだけだろうし。
精一杯生きて、精一杯死にたい。今のところの夢はそれ。
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