独自性を出すところ

独自性を好き勝手に出すと嫌われる。

大抵は決められた範囲内で決められたことをしっかりこなす方が重宝される。

そういういわゆる歯車内で独自性とか自分の居場所を必死こいて作ろうとしても意味がない。そういう一般社会では常に『普通』でいる必要がある。

普通の方がいいに決まっている。

普通だねと言われて落ち込む必要はない。
自ら普通を演じているという考えがあったとして、その中で『普通だ』と言われたのであれば、自分の中の普通バランスは正常だということになる。

普通をなぜよく思わないのか。

良いか悪いかの0か100で物事を判断することに慣れすぎているから?
普通とかいういわば中途半端っぽいポジションが怖い。

一般社会の中ではほとんど目立つ必要はなさそう。
目立つと叩かれる、潰される。

そうなるくらいなら、目立たずに可もなく不可もなくでいて、他のところで自分というものを表現したら良さそう。

誰もが目立とうと思えば目立てるこの社会において、目立つということはさほど重要ではない。

悪い目立ち方でも目立ったもん勝ちみたいな思考になると、迷惑系YouTuberとか、お店に迷惑をかけてしまう哀れな人間になりかねない。

それは歪んだ表現方法。

そんなもので目立ったところで価値はない。

お金を稼ぐということばかりに重点を置きすぎて生きるという本質的なものを見失ってしまっている人は多いと思う。

あればあるだけ良いとか、多く稼いでいる人が人生の成功者とかそういうことでもない。

呪われている。
今この社会の仕組みそのものに。
それに呪われているのに果たして、成功者と呼べるのだろうか。

狭い世界でばかり物事を見てしまうと一気に何者かの思う壺になる。
視野狭くてラッキーって思われて終わり。

見たくないもの、気持ち悪いものに挑む。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?