それでもお腹は空く
どれだけ思い詰めていても、苦しい状況で胸がいっぱいでも、生きている限りお腹は空いてしまう。
学校に行きたくなくて、駄々を捏ねていた時、母はそこで負けるというか、嫌だから行かないというような精神が気に食わなかったのか、引きずってでも学校に行かせようとしてきた。
それでも玄関にしがみついて、絶対行かない!と意思を強く持っていたら、最終的には母が折れる形で、勝手にしろ!と怒っていなくなる。
その間、私は玄関に倒れ込んでいる。冷たい、玄関の床のコンクリートが冷たい。心も同時に冷たくなっている気がした。
そんなふうに感じながら、1時間とか2時間とかそこにいる、というかなんだか気まずくてリビングの方に行けない。怖いし。
痺れを切らした母が、『いつまでそこにいるんだ、バカか』と声をかけてくれる。
その時にはすでにお腹はペコペコ。
そんなことが何回かあった。
そこまでしてでも学校に行きたくない時があったんだな・・・とまるで他人事のように今では思えてくるけど、そんな時だってあるとも思う。
その当時、母はどういう意図でそういう行動に出たのかはわからないけど、嫌なことがあったくらいで、その場から離脱するのは良くないということを教えたかったのだろうか?それともまた別の何かがあるのか。
聞いてみよう。覚えているのかわからないけど。
辛いこととか、嫌なことがあって、どこまでも落ち込むことなんていくらでもあるけど、それでもやっぱりお腹が空いてしまう。
食べたくないと思って食べないこともあるかもしれないけど、お腹が空いてるのを我慢しているということ?だからお腹は空いている。
生きてるってそういうことなのかな。
夜、友達と焼肉とか食べに行って、腹一杯になるまで、たくさん食べて、もうこれ以上は無理だ・・・明日はあんまりお腹空かないだろうな・・・と思っても、次の日にはお腹が空いている。
あぁ、生きているんだ。
美味しいものを一人で食べて満足するよりも、安い居酒屋とかで、パサパサの串とか食べている方が満足感がすごい時がある。
心も体も満たされる状態とでもいうのか。
色々考えていたら、人間というものがわからなくなる。
それが十人十色、さまざまな形があるということ。
自分一人だけの考えとか価値観だけで、物事を測ったらよくない方向に行くのは確か。
生きた道も、境遇も、深さも、何もかもが複雑になっていて、理解するのは至難の業かもしれないけど、それでも知るということ、好奇心というものを忘れないでいきたい思う。
そして、辛いことがあったとしても、それがなんだと、次の瞬間にはお腹はすくんだ!という気持ちで生きてみたいと思う。
それが正しいかどうかはわからないけど。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?