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”求められていること”をやりすぎて漫画が嫌いになった漫画家志望の話

私はよく尊敬する人を見つけてはその人のアドバイスを聞くようにしている。
フリーランス税本という漫画を出版している漫画家のあんじゅ先生(@wakanjyu321)や漫画広告会社まんがたりの社長前田さん(@mangatari_maeda)、株式会社SNSコーチのいぬゆなさん(@inuunited)…などなど、他にも勝手にコーチと崇めている存在がたくさんいる。

そのお話の中で聞いたのが、『求められること、出来ること、やりたいこと』この3つの円が重なる部分をやることが大事だということ。

これが私にとってなかなか難しかった。


思えば”求められること”をやり続けた人生だった

まず、私が本格的に漫画家を目指し始めたのは中学生の頃。
以前からなんとなく漫画家になりたい夢があった私は、『GTO』に出会いヤンキー漫画の魅力にのめりこんだ。
そして中2からヤンキー漫画を描いて投稿し始め、高2のときにシリアスな50pのヤンキー漫画で、週刊少年マガジンで奨励賞を取った。

そこから漫画の専門学校に入った私だったが”学校の先生が求めること、担当編集が求めること、”と”私のやりたいこと”の違いに翻弄されることになる


短編のギャグマンガを描け!?

まず専門学校の先生に言われたのが「短編のギャグマンガが賞をとりやすいから、16pのギャグマンガを描け」ということだった。
確かに周りをみても賞をとるのは短めなギャグ漫画を描いている人たちだった。

そこから私はギャグ漫画(『ヤンキーが長いリーゼントを駆使して戦う話』、『鼻血で戦う番長の話』、『ヤクザと幼女が入れ替わる話』など)を描いた。そのうちのいくつかは賞に入ったがどうも短編をどうしても描けず大体が40pほどのものだった。

賞に入って話が進んでいくと次に担当編集に言われたのが「ヤンキー漫画やヤクザ漫画は流行らないから、『のだめカンタービレ』みたいな漫画を描いて」という話だった。



不良漫画を封印した!!…結果何も描けなくなった

漫画家のアシスタントに通いつつ、いくつかここから、演劇の漫画やお祭りの漫画、警官の漫画等を『のだめカンタービレ』風にしてネームを描いて持って行ったのだが、全く採用されない。…というより求められているものを持って行ってるつもりなのにほぼまともに読んですらくれないような状態だった。
この時は気づいていなかったのだがこの時の私は「求められること、出来ること、やりたいこと」のどれ1つにもあてはまらないことを何度も繰り返している悲惨な状態だった。

私はこの時から漫画を描くことが好きではなくなり始めていた。
好きではない、安定もしない、将来性もない、安月給な漫画家のアシスタントの仕事を辞めたのはこのころだった。


アシスタントを辞めて、いろいろあって広告漫画家になった

安定する職を求め、眼科の検査員、テレビ局のAD、派遣の事務員をやってみた私だが正直言うとどれも長続きしなかった。
漫画が好きじゃないものの、漫画が一番性に合っている。…なんだかんだ漫画を描くことが、(才能はないにもかかわらず)一番『できること』だったのだ。

派遣の事務をクビになり、絶望のふちに立たされた時、偶然にも私は漫画広告会社の、漫画家の求人募集を見つけた。

志望動機を漫画にして持っていき、見事採用された私は、そこで色々なことを学び、そのスキルを副業に転用した結果、広告漫画家として独立できるようになったのだった。
”求められること、出来ること”が重なった瞬間…だった


求められること、できること・・・やりたいこと(?)

独立後、マーケティングイベントに通ったり、クラウドソーシングを活用し、20~40万円くらい稼げるようになっていた私だったが、
仕事で描く漫画が楽しかったのかといわれるとそんなことはなかった。

漫画の仕事をするよりイベントに参加して営業することの方が楽しい。そんな感じだった。
”求められること”に応えて喜んでもらうことは他の仕事に比べると自分にとって”出来ること、やりたいこと”であり、広告漫画で生計がたてられるのは幸福なことではあった。

この時【ビジネス漫画の書籍を出す!】という新たな目標もできた。

割と順調だった私にまたも転機が訪れる。
コロナウイルスの蔓延だ。


イベントがすべて中止になって実家に帰った結果仕事がなくなった。

イベントなどで仕事を取ってきた私にとってコロナウイルスの影響は少なからずあったといえよう。
もちろん飲食店やイベント主催者にくらべると影響は小さかったが、イベントが軒並み中止になり、直接人と会う機会がなくなった私はどうすればいいかわからなかった。

結果実家にもどり、オンラインサロンや今までの営業でいただいた仕事をやっていたが、量自体はどんどん減っていった。

その間ツイッターに創作漫画などをのせフォロワー数を増やしてSNSマーケティングしようと思ったものの数か月と続かなかった。



ツイッターで創作漫画が続かなかった理由

ここでもまた私は”求められること、できること”のみを鍛錬に磨き続けた。
バズっている漫画を研究し、分析し、週に1,2本創作漫画を載せ、反省点をあらいだしさらに精度を上げていった。
結果、第12回くらツイ漫画賞で期待賞を取ったりした。

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ただ、バズる目的で描く漫画が伸びなかった時の落ち込みは尋常ではなかった。『やりたいこと』ではないのに伸びない、お金にもならない、意味があるかもわからない漫画を描くのは私にとっては結構しんどかった。(かなり甘い考えだとは思う)

また、人と話たり、イベントに参加して営業したりしたい!そう思った私は尊敬するまんがたりの前田さんの「東京帰ってきちゃいなよ」の一言で東京に戻ったのだった。


東京に戻ってからのこと

東京に帰ってからの私は自分の中で、マインドが少しだけ変わっているのを感じていた。
人生なにが起こるか分からないから、”求められていること、出来ること”ばかりではなく”やりたいこと”もどんどんやっていくべきだという考えが芽生え始めていたのだ。

仕事に関しては尊敬するあんじゅ先生の主催するオンラインサロンを通し、合計100万円の依頼を受注できたり、

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書籍のお仕事(11月に出版予定)をいただいたりと、東京にもどってからの私は以前に増して順調だった。

ただ、前途の書籍のお仕事がとにかく大変だった。

私の確認不足が招いたことだが、イラスト、漫画、図解部分のご依頼かと思いきや図解のページののDTP(ページ全体のデザインやレイアウト)の役割もやることになった。ページ数は70pほどに及んだ。
結果、非常に不甲斐ないことだが、漫画やイラストおよび前半の図解のみ可能な限りやって、後半の図解の部分は途中でお断りさせてもらった。

このことが決定的となり、ビジネス書籍でこんなにつらい目に合うなら、もう一度商業誌を目指してつらい目にあいたい…!と思うに至った。

結局やりたいことって…?

いろいろ右往左往して一度”やりたいこと”に比重を置く期間を作ろう!とおもって今に至る。
では私がやりたいことってなんだろう…?

色々考えて私は忘れていた感情を取り戻すことになる
”商業誌で連載がしたい!!”

そして、
”不良漫画を描きたい!!”

不良漫画を描かなくなってから今に至るまで、私にとって漫画を描くということは”めちゃめちゃ好きなわけではないけど、他のことよりは出来ることだし、他のことよりは好きなもの”だった。

でも、ある日気づいてしまったのだが、私の部屋にある漫画はほぼ不良漫画だった。
”求められること、出来ること”を追い求めた結果、不思議なことに本当に忘れてしまっていた感情だった。


不良漫画なんて今どき流行らない…なら流行らせよう!!

…というわけで、今不良漫画を描いています。(広告漫画のお仕事はしながらではありますが)
”求められること、出来ること”ばかりにフォーカスしてきた私ですが、”今後は”やりたいこと”にフォーカスし、それをもとに研究・分析して不良漫画を”求められること”に昇華していこうかと。理想論かもしれないですが。

叶えられなかったらその時はその時、これになら人生賭けられると本気で思ってます!
馬鹿にされてもいいしょうがないし、無理だと思われてもいいんです。

だってそれほど”不良漫画”が大好きだったことを思い出してしまったから。

もしこんな”夢しか追えない”バカな私を応援して下さる方が1人でもいたらフォローしてくれると嬉しいです(*^^*)!!

どでんちゃん(@nj_doden

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ここまで読んで下さりありがとうございました!!

今後も
・有名漫画家のもとで学んだ知識
・広告漫画の描き方
・独立の仕方
・商業誌と広告漫画の違い
・ここまでの歩み
…などなどを余すことなく記事にしていく予定です!!




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