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ものさし




何が正しいかなんて
誰にもわからないよ

誰もが自分のものさしで
世界を図っているんだから
小さな小さなものさしで
善か悪か 誤か正か
常識か非常識か
ばらばらの目盛りで
図っている

かくいう私もそう
子どもを叱った側から
ひょっこりと
小さなものさしが出てきて
自分自身に問いかける
”本当に正しいの?”
って

みんな自分のものさしに
自信が持てなくて
右や左のひとのものさしを
盗み見ては正そうとする
そして すがるように
信じようとする

なんとか人間みんな
ばらばらの目盛りを
必死に合わせて 
一定の基準はできたんだろう
だけど
そこからはみ出たものは
どうしたらいいんだろう

みんな
厳しい目で図る
はみ出たものに対して
小さな小さなものさしで
善か悪か 誤か正か
常識か非常識か
これを”傲慢”というのだろう

”当たり前”とか
”常識”とか
みんなが定めた
”基準”に過ぎないのに
なんて愚かなんだろうと

自分自身のものさしを
見つめながら
途方に暮れた




 




教育の語源をたどると、ラテン語の「educatio」に遡るそうです。
これには「引き出す」という意味があり、「教育とは個性や能力を引き出すこと」だということを、大学生のときに教わりました。
個性や能力を引き出し、伸ばしていく。
その子が持てる力を発揮して、自分らしく輝いていけるように。
なんて素晴らしいんだろうと感動したのに、実際の現場ではなんと難しいことか…
自分の力量のなさは勿論ですが、子どもたちを大事にできる、教育にお金をかける国であってほしいと願ってやみません😌

読んでくださってありがとうございました☺️
今日もいい天気。皆さんにとってよい1日となりますように🌈😆🍀



 

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