2022/11/9 弔意

 お世話になった先生が亡くなった。今年の夏、長寿のお祝いでささやかな集まりをしたばかりである。長い闘病生活とコロナの影響で、お祝い自体やっと開催したもので、大々的に告知したものではなかったそうだが、そのときは予想よりたくさんの人が集まった。そこにいる人みんな、この先生にお世話になったんだなあと思って、その一員でいることがうれしかった。お世話になったといっても、私は特別何かしてもらったわけではない。ちょっと声をかけてもらったり、長男を抱っこしてもらったり、思い出そうとしても、にこにことした故人の顔だけが浮かび、具体的な言葉や場面はほとんど出てこない。そこにいるだけで不思議と空間が安心できるもの、あたたかいものになる、そんな先生だった。

 葬儀は密葬で行われた。いつも周りに気を遣う先生らしいなと思った。

 国葬騒ぎがあったので、より一層先生の去り際をすばらしく感じた。弔意とは、どんなに抑えようとしても出てきてしまうような、意識ではおさえられないような自発的なものである。形ばかりで心のない国葬より、ひっそりと行われた先生の密葬に今は思いをはせる。合掌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?