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時間を溶かした一日

今日は久しぶりに予定が何もない1日だった。
前々から、朝はゆっくり寝て、起きたら掃除、続けて制作をしようと計画していた。

が…
朝、ゆっくり起きた後がいけなかった。
何気なく「何時だ…」とスマホを握ったのが最後。
なんとなくSNSを立ち上げ、なんとなくショート動画を見て…としている内に、あっという間に数時間経っていた。
本当に数時間。

ショート動画は、自分にとって毒としか考えられない。
まったくやめられなくて、ずるずると見続け、気付いたら貴重な時間を失っている。
しかも見ている間もそこまで面白いと思っていない。
中にはテレビのバラエティ番組の切り抜きもあって、他人が作った努力の結晶を自分の再生回数にするってどうなの!?と思っているのに、ついつい見てしまう。再生回数に寄与してしまっている自分も完全なる悪と分かっているのに…

見終わってからも、当然のことながら、どんなショート動画を見たのかもあまり覚えていない。
それくらい印象に残らない、大したことない動画ばかり見ているのだ。

それなのになんでこんなにも止められないのだろうか。
1つは、短いからそんなに時間を消費していないという感覚。
それから、次こそはもっと面白い動画があるかもしれないという期待感。
そこそこ面白い動画にヒットすると、また面白い動画を見たいという期待感もある。

どれも脳をそんな使う必要がなく、でも少しだけ脳を刺激してくれる。
究極のだらだらモードにぴったりのものなのだろう。
こうした脳がだらけモードに入ってしまうと、そこから自分自身を奮い立たせて、アクティブモードにするのがものすごく大変である。
ましてや、待っているのが掃除という自分が苦手なものとなると尚更……

まさに時間を”溶かす”という表現がぴったりな状態で数時間過ごした後、「やばい!」と起き上がった時の罪悪感たるや。
前日の夜にあれをやろう、これをやろうと、今日という日を期待して寝たのに、出鼻をくじかれた気分になる。
しかもものすっっっっごくしょうもないことで。しかもしかも、完全に自分のせいで。

そんなわけで大いなる罪悪感から始まった本日は、心の底からショート動画に屈しない強い心が欲しいと思ったのであった。

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