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背景が分からないことへの恐怖

お気に入りのNetflixドキュメンタリー「クィア・アイ」で"Spirit animal"の話が出てきた。
自分のSpirit animalがナマケモノという青年が、強い動物へと変身するエピソードになっており、その最後にファブ5がそれぞれ自分のSpirit animalを言う。

"Spirit animal"ってなんだ?なんとなく分かるけど、確証はなかったので調べてみると、自分を動物で例えると何、という話のようだ。
どうやらセレブたちがよく言うらしい。

自分のSpirit animalってなんだろう?と考えると、なかなか思いつかない。
ぼんやりと考えていくうちに、ロバかも…と思い始めてきた。
今さらのように、チーターが一番好きな動物だけれども、その何番目かに好きなのはロバだわ…と思い付き、そののんびりした感じと、でも強い(特に体が)というのが似ているなと感じたのだ。

といったことをnoteに書こうとして、ファブ5の一部のSpirit animalを忘れたので、「spirit animal queer eye」で調べてみたところ…
なんと、この発言に批判が出ていたらしいのだ!!!

なんでもSpirit animalの発想はネイティブアメリカンの文化から来ているらしく、その文化的背景を尊重せず軽々しく使っているという批判だった。

もちろん私もそんなこととはつゆとも知らず、"Sprit animal"単体で検索しても出てこなかったところから、日本でいうところの動物占いのような、軽いものだとばかり思っていた。
こうした事情も知らず、意図せずに文化の盗用を行うところだったと思うと、なかなか恐ろしいものである。

改めて文化というのは難しいものだと思った。
グローバル化が進み、個々の文化がなんとなくアイテム化、アイコン化されているように感じる。
例えば和柄というのは色んな種類のものがあり、それぞれに想いや歴史がつまっているのに、和柄といってイメージするのはなんとなく花がふんだんにあしらわれて金が入っている千代紙でよくありそうな柄である。それが含まれているだけ「和風」に仕上がったりもする。
それが完全に悪いとは言わないけれども、和柄が持つ様々な文化的背景が排除され、ただの「和柄」というアイテムになっているような気がするのだ。

こうした文化的背景の排除によって、Spirit animalのように何か意味があったものが分からなくなってファッションのように使われているという事態を招いてしまっているのではないだろうか。
そしてアジアの島国で、何も分かっていない人が、ファッションアイコンみたいになってしまったものを、何の罪の意識もなくまた消費しようとしてしまったのではないだろうか。
無知ほど恐ろしいものはないと痛感した一件であった。

因みに余談ながら、見出し画像はロバの話をしようとした名残で、私が描いた神戸市立王子動物園のブンタくんである。
ブンタくんが本当に可愛いので、そのままにしておいた。

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