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『おっさんずラブ』のテーマは「おっさん恋愛問題」だったかもしれない

遅ればせながら、『おっさんずラブ』全7話をAmazonプライムでとうとう観てしまいました。

同性愛を描きつつ、それが上司の「おっさん」から部下に強引に迫るという形で描かれるという前情報で、警戒した当事者も多かった本作。

フタを開けてみれば若いイケメン同士のボーイズラブをメインに視聴者が大いにハラハラし盛り上がった作品でした。

このドラマのタイトルがなぜ『おっさんずラブ』なのか、たしかに武蔵は重要なキャラクターではあるけれど、なんだかしっくり来ないように私には感じられました。

しかし、最終話まで見ていくうちに、『おっさんずラブ』というタイトルは「おっさん恋愛」の問題点を指摘しているタイトルなのではないか、と思えてきたのです。

問題だらけの「おっさん恋愛」

吉田鋼太郎演じる黒澤武蔵は、おそらく「良い人」。視聴者のほとんどがきっと彼に悪印象を抱いていない(吉田鋼太郎のチャーミングな演技力によるところも大きいかもしれないけれど)。

しかし、武蔵の恋愛の仕方は問題だらけだ。妻ある身でありながら20歳以上年下の部下に片想いし、盗撮写真を集めている。この時点で普通に考えたらクソみたいなおっさんだ。
(春田を女性に置き換えたらわかりやすいが、男性だとそれほど侵害とみなされないのもジェンダー問題である)

さらに盗撮写真を待ち受けにしているのを本人に見られたことをきっかけに、本人に交際を迫り出す。
普通なら盗撮していることがバレたら危機を感じるものだけれど、そこから「付き合いたい!」に転じるあたり、いかにも「おっさんの思い込み恋愛」の発想である。完全におかしいのだが、実はこういう行動パターンのおっさんは結構いるのだ。

牧が若くてイケメンで仕事もできる好青年であることは理解しているのに、「なぜ自分でなく牧なのか」は理解できない。「自分の方が春田の恋愛対象としてアビリティがある」と自信満々なわけではない。「自分が愛されないことは不当だ」と思っているからだ。

上司と部下という関係上、春田が武蔵に強く言えない立場にあることにも、全く気遣わず無頓着。しかし、その権力差をわかって利用しているようなフシも見られ、無自覚ではない。
おそらくカネと地位を持っている立場に慣れすぎて、それを振りかざす暴力性に気付けなくなってしまっているのだ。

この〈カネと地位の暴力性に気付けなくなっている年長者〉の感じは、武蔵の元妻である蝶子が武蔵の恋を応援しはじめた時にさらに顕著になる。

春田とも知り合っているはずの蝶子が春田の意志は完全に無視して武蔵を応援する様子は、なんだかもやもやと引っかかる。
この時の武蔵と蝶子は、カネと地位にあぐらをかいた「嫌な感じの人」になっていると私は思う。そこまで思っても、吉田鋼太郎と大塚寧々の夫妻が可愛らしいせいなのか演出のせいなのか、彼らを「悪い人」とは感じられないのだが。

「おっさんずラブ」と「ボーイズラブ」

ところがこの「悪い人と思えない」ことが後の展開に効いてくる。

たぶん春田のような弱い立場の人間が、強者の権力や暴力にねじ伏せられるまま「これが幸せなのかもしれない」と受け入れてしまい、交際や結婚に至った例は、現実世界でもものすごくたくさんあると思う。
そう考えるとなかなかホラーな現実を描いているのだ、このドラマは。

一方で春田と牧の恋愛は、「おっさんずラブ」ではない、真っ当な「ボーイズラブ」だ。

彼らはなんとなく惹かれ合う段階から始まって、想いを伝え、互いに誠実であるためにどうすればいいか悩み、相手の幸せを自分の幸せ以上に考えるようになる。
人間同士が互いを尊重し合いながら、恋というままならないものと向き合う、お手本のような「恋愛」だ。

春田と牧の真っ当な「ボーイズラブ」を描いたのは、武蔵の一方的な「おっさんずラブ」だけを描いて〈同性愛=加害行為〉と受け止められてしまうのを防ぐための配慮でもあったかと思う。

しかし、この作品で本当に描きたかったのは「おっさん恋愛」問題の方ではないか。

同じ男性同士の恋愛でも、互いに誠実であるために葛藤する牧と春田の恋愛が「本当の恋愛」に見えるのに対し、武蔵の恋愛は常にどこか滑稽だ。「おっさんずラブ」と「ボーイズラブ」がここで対比している。

人は権力や暴力に支配されると、頭がバカになっちゃって何も考えられなくなることがある。
牧との恋愛ではどうやったら誠実に向き合えるかあんなに悩んだ春田が、武蔵に対しては何も考えられないバカになってしまう。

春田にとっても、武蔵はけして嫌いな人ではないのだろうけれど、恋愛に関して話す時、春田にとって武蔵は一貫して「話の通じない人」だ。
武蔵は武蔵なりに春田への愛情や優しさを示しているが、それは尊重や誠実さとは程遠い。

流される春田も武蔵に対しては誠実ではない。人は誠実には誠実で返そうとするし、不誠実には不誠実でしか返せなくなるものだ。

おっさんメンタルから抜け出せない世のおっさんたち

『おっさんずラブ』の制作陣は、女性プロデューサーたちと30代の男性脚本家。誰も「おっさん」ではない。

ドラマの構想には、「少女漫画のような恋愛をおっさんがやる」ということが入っていたそうだけれど、制作陣の目に映る「おっさん」とは、果たして年齢や性別だけのことだったのか。

世の中を見回すと、カネと地位を手にして、権力を振りかざすことに慣れ、そこから降りられなくなった「おっさん」たちの姿。その中には憎めないキャラクターの人や、心根の優しい人もきっとたくさんいる。けれど、彼らは病的に「おっさん」だ。

そんな「おっさん」が若いイケメンに少女のような恋をする。恋する気持ち自体はピュアそのものなのに、その行動、その思考パターンは「おっさん」を抜け出せない。

自分の意志が何よりも尊重されることに慣れすぎて、それが叶えられないことは不当だと思い込み、相手を追い詰めながらこれはまともな恋愛だと錯覚する。

『おっさんずラブ』というタイトルの「おっさん」は、単に中高年男性という意味ではなく、「おっさんメンタルを身につけてしまった人々」という意味だったのではないか…と、思うのだ。

しかしながら、全体的にこのドラマは「おっさん」に優しい。黒澤武蔵は間違いに気付いて自ら「おっさん恋愛」に幕を引く。そんな武蔵を同僚たちは温かく受け止める。
武蔵が行った数々の春田への侵害行為からすれば、優しすぎる結末だ。

続編を期待する声も高いという本作だけれど、もし実現するのなら、さらに「おっさんずラブ」の問題点に鋭く切り込みつつ、「ボーイズラブ」にも萌えさせてくれる作品になっていると良いな、と思う。

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