最近自分の中での刷新が続いている。 仕事がものすごく嫌なのだ。 少し前も嫌だったけれど、 本当に会社に行きたくない と具合が悪くなるくらい 嫌な出来事があった。 相手の立場とか、取り巻く環境とか 逆の立場だったらとわかることも多いけど なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだ と すごく不本意だった。 そんな影響を受ける自分も 今にして思えば不甲斐なくて嫌だった。 言い返せれば、うまく説明できたら とかとか 後悔と怒り理解してもらえない虚しさのオンパレード。
引っ越しから2週間がたとうとしている。 タスクをこなしながら、 いろいろ整えて我ながら感心する。 段取り力は、前回の忙しい仕事で培った力だ。 この力がなければ到底今回のスケジュールは こなせなかった。 瞑想プログラムは予想通り 受けてよかったし 強い言葉かもしれないけれど 受けるべきものだったと思う。 最初に受けたときも、 優しくあたたかく包み込むように わたしの心の奥底の硬い部分を いともたやすく解いていった。 すごく良かったのに わたしが本腰を入れて受けるのに時間
書く きっと振り返ったとき そうだったのかー ってなるから。 転勤して空気を変えて生活しようと 思っていた地は トラブルを続きで 働いて働いて働いて 素敵な土地なのにも関わらず 働いたという記憶ほとんどだ おかげで 待てよ 人生終わりになったとき よく働いた って満足な感想にはなるが それがお前のやりたいことか?! って 我に返ったくらい それと入院もした 土地柄か先生も看護婦さんも介護さんも みーーーーーーーんな親切で 不安なことも困ったこともなかった 入院すると
前回の記載から2ヶ月たった。 おかしいな~ 毎日書こうと思ってたんだけどな。 まぁ、そんなものだ。 それにしても以前は毎日続けられてたことが こんなにも出来なくなるのも面白い。 そして、毎日出来ないって言ってた人が 毎日続けられるようになったりするのも面白い。 わたしはやらなければ死ぬ!くらいに思ってたから 必死さがなくなればそんなものなのかもしれない。 更新もせず何をしていたかといえば あいもかわらずよく働きよく働きよく働いた。 そして今もよく働いている。 正直今の仕事
手術後目が覚めて 少し時間が経った。 傷より痛いところがあった。 横隔膜だ。 自分でも自覚がある。 人からも指摘される。 わたしは呼吸が浅い。 全身麻酔だったから 機械をつけて呼吸していて それが許容量をこす深呼吸となり 横隔膜あたりが信じられない 筋肉痛なのか神経痛なのか はたまたどちらなかの 術跡もあいまって痛いのなんの。 その時思ったよね。 わたしの呼吸が深かったら、 こんな痛い思いはしなかったのにって。 そして呼吸の深い人たちの持つ 独特の安心感の魅力。
順調にnoteを書いていたのだが止まってしまった。 なんてことはない、 入院してた。 前回の入院のときに内科医の先生に 「あなたのは手術したほうがいいよ。」って言われたのに 手術したいからだ って穿ったみた結果 3ヶ月とたたないうちに再発し入院。 内科医の先生のいうことは聞いておくもんだと猛省した。 出戻ってきたわたしに、担当医の先生が 「でも手術したくないんだよね。」 だからわたしは痛みにさいなまれながら食い気味に言ってやったよね。 「やるやるやるやるやるやる。」
ほしいもの やりたいこと 気がついたら体が動いている やった方がいいだろう やらなきゃいけないことは 気がつけば後回し お金貯めて、マンション買って 運用とかして、、、とか考えて 予定も立てたりするけど 旅行行ったり 冷蔵庫や食洗機ほしいもの買う方が やっぱり優先させてしまうし 気がつくとやってる こういう人を道楽者というらしい 振り返ってみると 仕事だというのに 意に沿わない 納得がいかない仕事あったら やめたりしてるもんな 仕事も私にとっては道楽だわ 半人前と
体が揺らいでることもあるけど なんでこんなに疲れてるんだろう そしれて頭もちっとも回らない。 つくづく思うけど、 仕事がっつりやるのなら 緩むのに瞑想は必須だな、 最近そんなことばかり考えてます。 精神が静かにならないのです。 昨日美術館に行ったというのに。 いつもの仕事にプラスして マニュアルがない 秘伝のごとき口伝の新しい業務 締切ありが気力をゴッソリ削いで 休み明けにも関わらず もうHPは赤ゲージです。 そんな自分にしてあげることは しっかりご飯を食べて寝ること
正月働き、今年最初のお休み 足をのばして電車に乗って 小樽まで美しいものを観にいってきた。 人に何かあげるのも好きだが 自分に与えることもとても大事だ。 わたしをわたしじゃないと考えて 今何が一番必要かな と思ったら 非日常と美しいものだった。 不思議な天気で、 行きは雨が降って ご飯食べたら晴れて 美術館着いたらまた曇って来たけど 出る時には晴れてた。 おかげで美術だけではなく、 行きと帰りの海岸線の景色は それこそ絵にしたいほど美しかった。 静寂と冬が持つ少し
今年は冬入り前に いろいろなものを買った 寒い冬を温かく過ごすためのもの 去年というか前回の冬は 勝手もわからず 暖房をいっぱいたいて 光熱費がえらいことになった いや、本当に どのくらいかというと、 もう一部屋借りれるんじゃないか っていうくらい 明け方に寒すぎて 目が覚めたこともしばしば だから冬の寒さが本格化する前に ケチらずしっかり準備をすることにした まず一つ目は、加湿器 今までは雑貨屋さんの手頃なものを 使っていたことはあったけれど 今回は電機メーカー
仕事場が土日祝日関係なく稼働していて 大晦日も正月も出勤でした。 人も少なくて移動しやすかったな。 このシンとした空気が好き。 今年はしめ飾WSに参加して作って 大掃除して飾った。 んだが、 変わらず働いていて 全く正月感がないのである。 ちなみにお節的なものは 作る時間も心の余裕もなく お店も休みのため 食事はコンビニ三昧になった。 正月って特に何をするわけでもないけれど 区切りがなくて ちょっとこれはこれで考えものだな、、と。 占星術を齧った者として 春分の
まぁ、人によって書きやすい場所ってあるよね noteはシンプルでこうなにか構築しようとして 書き続けてたけど 書きたいというものをこだわりすぎて 書けず今に至る で、結局書きやすい場所に戻り蓄積している こういうところが、 地要素、不動内面の安心安全な場所に戻るを やっているな~と感じる 挑戦、慣れないことは 自分に馴染んでるところがいいのよ でも、不安定で未知なところで 挑戦するのがいい人もいるから 本当に自分に合わせてやっていただきたいと思うけど 四十二節気七
白露 残暑が引き夜に空気は冷やされて 朝靄の中で葉に雫がつくこと 札幌に来て驚いたのは 候を重ねることが出来ること この言葉を知ったとき ちょうど道草に露がかかっているのを見つけた 先週からぐっと冷え込んで 今日仕事を終えビルを出ると 上着を持って来なかったことを後悔した 東京はたぶんまだ暑い きっと春があける時は 候がずれていくのかもしれない 時代が変わり気候も変わり きっと候も 土地によりそれぞれに合う季節が あるのではないかな そんな
現在 仲秋 白露(はくろ) 七十二侯は 鶺鴒鳴(せきれいなく) ああ、書いてて美しい日本語だな 休みの日はどこかに出かけることもなく 掃除をして 出店の八百屋で買った旬の野菜で 常備菜を作る 丁寧な暮らしを心がけてる とか 高尚なことではなく 知人も少なく外出もしないから 要は暇なのである 暇ゆえにいろいろ考えたり思ったりする 暇ってアイディアの源泉だよね 次の旬ものはなんだろう 季節的に何が出てくるのかな 気候で心や体が揺らぐ ずっと興味はあったけれど 手を
朝起きてあまりにも体が ミシミシいうので ストレッチをしたら 部屋のレイアウトが気になって 模様替えをした。 エアコンが付いてる部屋がリビングしかなく 今年のあまりの暑さに寝られなくなり 夏の間、寝床をリビングに移動した時に 家具を部屋の隅に移動していた。 涼しくなってから 寝床を元の部屋とは違う 風通しの良い部屋へ移動したのだけど 家具はそのままにしていたのを 不思議なものですっかり忘れていた。 日々の時間の流れに紛れると 改めて考えたら不自然なことも 日常になってし
前回どこで止まっているかはわかっている エスコンフィールドに行った感想が ものすごく良かった ぜひあの素晴らしさを伝えたくて しっかり書こうと思っていたら 書いていた初夏を通り過ぎて 秋の気配になっていた。 昔はあんなにいろいろ書きたかったし 書けてたのに なんでこんなに書けないもんかなーーーー エネルギーがないのかな まぁそれもあるけれど笑 今日Yさんのnoteを読んでわかった あーーーーーーーー わたし表現したいって思ってないわ ってことだった 日々湧き上