見出し画像

よく見ていた夢

昔からよく見る夢

「あ、やばい。セリフも立ち位置も全然覚えてない」。と、舞台の本番を迎える。「どうにかなるでしょ、私、主役じゃないし」と軽い氣持ちで放って置いた結果、焦る夢。


昔からよく見る夢です。お芝居をしていたこともあって、こんな夢を見ていたのだと思います。年に何度か見ています。


今は殆ど見ませんが、空港にてパスポートを忘れた!と慌てふためく夢もよく見ました。空を氣持ち浴飛ぶ夢も見ていました。高いところから飛んで逃げないといけないのに(自然災害、逃亡など)高所恐怖症のため足がすくんで動けない、氣付いたら素っ裸で歩いている、でも周りの人は普通に接しているなど。子どもの頃から定期的に見る夢がこんな感じで幾つかあります。

これらを見る理由はわかっていましたが、「セリフを覚えていない夢」は全然分からず、またこれか…と分からないことのモヤモヤ感がありました。

他人事のように自分の人生を生きていた私


私は昔から意思決定をすることが苦手でした。背中を押して欲しいタイプ。「なるようにしかならない」「天の采配に任せる」と聞こえはかっこいい流れに任せる達観している風な生き方。だけど、その実、自分では動かない、天に自分の人生をお願いした生き方、自分の選択に責任を持ちたくなかっただけなのでした。


自分の人生から目を背けていたら、面倒なことから逃れられると思ってました。バカだな。そんなわけないのに。昔の私に言ってあげたい。幻想を見ているよと。


そして、「私、主役じゃないし、いっか」というよくわからない理屈で、バカにした生き方をしていたんですよね。結局、そのしわ寄せを数年に一度食らうのに喉元過ぎればなんとやら。同じことの繰り返し。ほんと、おばか。



自分の人生を天に「委ねる」と「お願いする」は全然違う



「お願い」は文字通り、文句は言いませんから、うまくやってください。うまくいかなくても自分のせいじゃないからイイヤ。私の責任でもないし。

片や、「委ねる」はすべきことをして、その上での結果は天のみぞ知る。というところ。


この事実に直面した時の衝撃と羞恥たるや。きつかった。死ぬほどきつかった。どれくらいぶりかに、パニックになりました。自分ではそれなりに変えてきたから大丈夫じゃないかと思っていたのだから、なおさら。




解決方法は底に埋もれていた一番汲み取って欲しい純粋な自分の氣持ちを認めるという、とてもシンプルなことでした。

夢の問いかけは自分の人生すらも人任せな私に『そろそろ氣付こうか?』だったのだな。もう、この夢は見ないだろうな。


うん、これで浮上できる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?