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頑張れる総量

ひさとみなつみさんのnoteを読んで、思うところがあったので書いておく。

ひさとみさんの、「人が頑張れる総量は決まっている」というイメージは、私もそうだと思う。
私でいうと、「頑張れる総量」を「100」として、中学校3年間で「10」、高校3年間で「20」、大学4年間で「40」、院に入ってから「80」って感じだ。

計算が合わないって?
そう、使い切って、前借りまでして、真っ白になってしまったことがあった。

無我夢中だったあの頃、頑張れる総量は底無しだと思っていた。
やりたいことをやるためにここにいるんだ、嫌いなことをやってるんじゃないんだからできる、そう自分に言い聞かせていた。

だけど、結論から言うとそれは違っていた。
わたしの「頑張れる総量」には限りがあって、ひねり出した50は増えたんじゃなく前借りで、好きなことでも環境次第でストレスになった。

もう一生分やったじゃん、もういいよ、と思った。
一方でやりたいことはあって、やりたいのにやれない自分が嫌で、そんな葛藤でまた5は使ったかもしれない。

それから少し休んで、大体60くらいには回復した感じがする。
でも時々、それは錯覚で、実はもう使い切ったのかもしれない、と思う。
前よりも無くなるスピードが早くて、こまめに気を遣って増やさないといけないから。

わたしの以前の「頑張れる総量」をひとつのバケツとしたら、もう満タンにはならない。
満タンに出来ない自分を受け入れられなくて、今後どうやって生きていくか、まだ悩んでいる。

長年のやり方・生き方を変える必要があって、答えを出すのに時間が掛かるのはわかっているけれど。
せっかちなわたしは焦っていて、生きていくのが怖いままだ。

ねえ、みんな一体、どうやって頑張る量を決めているんですか。
うまい割り振りができない人は、総量が減ってしまったわたしは、これからどうしたらいいんですか。

人に聞いてわかるわけでもないことを、それでもあてもなく問わずにはいられないくらいには、不安だよ。

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