読み放題対象「失敗の本質――もうモリカケ桜は終わったんだ」
野党は奮戦した。小西文書で高市早苗大臣を追求し、さらには”しゃもじ”で岸田首相を追求した。
――だが、その奮戦の結果は、多くの人々が予想した通りだった。
「こんなことを続けていて、野党は支持率が上がるとでも本気で思っているのか?」「俺は自民党が嫌いだが、野党こそが最も優秀な自民党応援団なのではないか?」という声声。
まさにその通りの結果が、コレほどハッキリでたことはかつてなかったのではないか。わかりやすい。
もちろん首相のウクライナ「電撃」訪問など様々な複合要素があるとはいえ、結果はどうだろう。小西文書で国会を空転させた結果、逆に、岸田内閣の支持率はあがってしまった。
ついでに書いておけば、政党支持率も自由民主党は39%から43%へ上がり、一方で立憲民主党は9%から8%へ下がった(日経調査)。死屍累々だ。
相変わらずリベラルな人々は各社が出し始めた岸田内閣の支持率復調の世論調査の結果に「これは嘘だ!」などといっている。だが、どうだろうか?
あれだけ無意味に国民の生活も、安全保障問題もそっちのけで、とっくに終わった話である「安倍政権時代の放送法解釈問題」を蒸し返し――「撤回しろ!」「謝れ!」「辞めろ!」と大臣耐久テストで吊るし上げる。
結局は「アベの仇をアベに可愛がられた高市早苗でとってやる」的に、国会を空転させた。彼らの行動原理を支配しているのは、相変わらずの「死んでも許さぬアベシンゾー!俺たちの戦いはこれからだ!」である。いつまで代理戦争をやってるの?――という感じだ。
それで、「支持率が下がらない」などと思えるセンス自体が驚きだ。
だが、とにかく、この現実に耐えられないリベラルな人々は「国民の敗北だ」などといいはじめた。
結局は、いつもの「(私達の正しさを理解しない)国民は愚かだ!」となるリベラルのパターンである。
だが、彼らリベラルの皆さんが「国民」をみていないわけでも全然ないのだった。むしろ「見ている」だけに過ちを犯す。
「彼ら」にとって「国民」とはなんなのか。
さすがに共産党ですら小西文書に「これは使えん」と考えたのか参戦しなかったが、それでも立憲民主党は自分たちには「国民」がついていると考えてしまった。
実はそこにはわかりやすい「思考の陥穽」がある。現代のリベラルがみているものとはなにか。たとえば以下だ。
なるほどなるほど、「国民」の62%が高市早苗大臣の説明に納得していない!「納得できる」なんて17%しかいないじゃないか!
いいぞいいぞ!コレはいけるぞ!というわけだ。
これは私の感想でもなんでもなく、実際、立憲民主党の塩村文夏議員などは国会予算委員会で、高市大臣の「信用できないなら質問なさらないで発言」を猛批判したあと、「国民の大多数が(高市大臣の)説明に納得していないというふうに世論調査で答えているわけですね!!!73%のひとたちが!!!」とウットリと言い放ち、大臣を「追求」した。「ワタクシの後ろには国民様がついているぞ!」といわんばかりの態度だった。
ははあ、国民の73%が高市大臣の説明に納得していない、なんて本気で思ってしまったのか。あははは
現代のリベラルには致命的に政治センスが欠けている。というか初歩的レベルの数字を読む能力がない。
この数字の読み方をいつもいつも間違えるから、リベラルが失敗する。
もちろん、この新聞社や通信社が出す世論調査の数字が間違っているという意味では全然ない。世論調査そのものは金をかけてまともな調査会社に依頼し、統計的にまともにサンプリングして、正当な方法で、やっている(多分)。だが、ここで朝日新聞がやっていることは、はっきりいって捏造なのだ。
この数字の意味が、ちゃんと理解できるならば、リベラルにとってあまりに「不都合」すぎるのだ。
この数字がでてしまうからくりとは、
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。