普段は人権人権いってる人々に限って、すぐに人権意識がバグる理由
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普段は人権人権いってる人々に限って、すぐに人権意識がバグる理由

丹羽薫ちゃん

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今日も今日とて、普段は「人権人権!」と高らかに叫ぶ人たちが、いとも簡単に他人の人権は踏みにじる闇落ちをみる。たとえば、今月だけでも奇妙な違和感・・・「あれ???ワタシもしかして同じ数日間を何度も何度もループしてる?これ19233回目???」みたいなエンドレスで同じ日々がやってきているような不思議な感覚に襲われた。一言でいえば「人権を守れ」とか「女性の権利!」とかいっている人々に限って、むしろ「人権意識バグっている」現象が繰り返し繰り返し、眼前で再生されたのだ。

温泉むすめ

たとえば「温泉むすめ」という日本全国の温泉をモチーフにしたキャラクターたちに対して、とある有名フェミニストが、「性差別で性搾取」と言い出した。すると、そのツイートを引用する形で飛び出してきた言葉が以下である。

勝部元気

(引用元→https://twitter.com/Katsube_Genki/status/1460122457117839364)

勝部元気氏「これだけ人権意識バグっていると、脱衣所とかに超小型カメラを着けるスタッフ紛れていそう」(削除済)

もちろん、これは「温泉街で働いているスタッフは性犯罪者だ!」といっているに等しく、そんな中傷行為をされては温泉スタッフたちもたまったものではない。事実、温泉旅館の人たちは激怒した。同時に風評で実害が発生する可能性もあるツイートでもある。

要するに「人権意識バグっている」と人権意識を批判していた側のほうが、ずっと「人権意識バグって」いたわけだ。どうして、他人の「表現の自由」を抑圧するためなら、性犯罪者呼ばわりして良いと思ったのだろうか。

そもそも論でいえば、「人権意識バグっている」もなにも、イラストの非実在の少女たちから失われる「人権」などはないのだが・・・。つまり存在しない「人権」を守るために、多くの無辜の人々の「人権」を抑圧してしまうのが、「人権」を持ち出す人なのだ。こうした「罪の軽重」のおかしさがポリコレワンダーランドの特徴である。

一部の女性やフェミニストは、ほんの少しでも意に沿わぬ「性的」な女性表象をみつけると、突如として、自他の境界があやふやになり、「私達は望んでいないのに、勝手にこうした性的な格好をさせられている!」「怒りと悔しさで涙がとまりません!!」の恐慌状態に陥る。だが、「そこで描かれた女性キャラクターは貴方じゃありませんよ」という話なのだ。もちろん、これらの感情プロセスはすでに「様式化」しているので、お手軽な「叩きの消費」の集団扇動となっている可能性もある。しかし、少なくとも扇動された本人たち的には「自分たちが傷つけられた側(被害者)」と思っている。

まるで、哲学者のニーチェが、広場で鞭打たれ憔悴してる馬をみて、自他の境界が突如あやふやになり、馬に抱きついて号泣し、そのまま精神崩壊してしまったという有名な逸話を思い出す。

そうした各人が自分で解決するしかない自分自身の心理機構の問題を、「人権」として社会問題化し、擁護しようとするのが、勝部元気氏のような「社会活動家(ソーシャルアクティビスト)」なのである。

そして不思議になるのは、自他の境界が突如あやふやになり「性差別で性搾取」とおもうほど、二次元キャラクターたちへの素晴らしい「共感能力」を備え持つ人々が、どうして、この「温泉むすめ」を愛し、育ててきた人たちへは、その怪物的な共感能力の一端でも発揮しないのかという話だ。

あれ? 「人権」とか「女性の人権」を大切にするひとたちというのは、慈しみ深く情にあふれているひとではなかったのだろうか。その線引きはどこにあるのだろう?


もともと「温泉むすめ」というは日本全国の温泉をモチーフにしたキャラクターたちだ。企画会社のエンバウンドが、主要温泉地のキャラクターを予め作り、「地元ではライセンスフリー」にしている(自然発生ではなく、お仕着せではある)。地元自治体の正式な公認を受けているのは現在、122人中17キャラクター。1割以上だ。最初はまず主要な「温泉むすめ」がデフォルトで用意されていたわけだが、今では地元の要請にこたえて一緒にキャラクター作りを行うこともあるそうだ。

もちろんこうした「温泉むすめ」というものは、統一した世界観であり、全国にネットワーク化されているというのが相乗効果をもたらす(たとえば「ビックリマンシール」的な世界観とコレクション性が、リアルな温泉と結びついたようなものだろう)。実際に、多くの人々は、その世界観の通り「温泉むすめ」を、「温泉のまだ位の低い神様たち(また神様以前の存在、下級神)」として受け止めているようだ。

お客さんたちが他の温泉街で買った温泉むすめの缶バッジ置いていき、湯野津の温泉むすめの缶バッジ買っていくそうやわ。

日本のゆるやかな「神様」によるネットワークみたいな「お遊び」が自然発生している。まるで江戸時代に流行した「七福神めぐり」のように、または神社仏閣の「御朱印帳」ネットワークのように、楽しまれている。まさに「巡礼」と「奉納」の旅である。そして、日本の「神様」というのは「間抜け」であったり、「エロい」ものであったり、「悪いこともする」し、「変なやつ」である。どうして「夜這いが大好きな女のコの下級神」であってはいけないのか。もちろん製作者の意図は私にはわからないが、「スカートめくりが好きな女のコの下級神」とか、こういうのは日本の奔放な「神様」のイメージの反映ではないのか。

多くの「町おこし」のこうしたキャラクター登用がうまくいかないのは、統一された世界観の相乗効果がないからだと思うが、この「温泉むすめ」はその点、全国の温泉ネットワークで結ばれている。ある意味、「温泉むすめ」を通じて、「温泉という神域」のアバター化のネットワークでもあるのだ。これは、「民俗的信仰」の復活である。

このように、「温泉むすめ」みたいなキャンペーンには多額の資金が投入されたメディア展開のビジネスであり、同時に、多くの地域や地元の人々が愛情に時間をかけて育てている「地域おこし」だ。そしてそれはファンにとって、「巡礼」や「民俗的信仰」の対象である。

ところが、一方的に「性偏見を助長する」「性搾取・性犯罪と本当に地続き」とか、なんの科学的根拠もない言いがかりをつけるのが「人権意識の高い」人々なのが不思議ではないか。

「他人の商売」、そして「地元の人の地域おこしへの愛情」、そして「民俗的な信仰」(ファン活動)に対して、「おまえらは少女の性を搾取している!おまえらは性偏見を助長している!」さらには、「脱衣所とかに超小型カメラを着けるスタッフ紛れていそう」だ。中には、「温泉むすめが国際社会にばれたら、日本軍が少女を性的に搾取していたのは本当だったとなるぞ!」と言い出す大学非常勤講師もいた。ものすごい憎悪扇動だ。いうまでもないが、「温泉むすめ」は5年前から存在し、温泉地はすでに何人も外国人がきているし、そもそも海外にむけてPVは公開されている。

そして、なんの根拠もなく、電話をかけ、抗議の突撃をして、叩きの快楽を消費し、社会正義で抑圧してまわるのが「女性の人権」を大切にする人たちなのだ。実際に、関係する機関に「女性の人権派」の人たちが凸りまくっていて、多大な迷惑がかかってる。

これは少し前のVtuber戸定梨香のときも繰り返された構図である。VTuberとは現代のネット社会では、「自分自身のペルソナ」なのだ。下記で書いたので繰り返さないが、「お前のせいで性犯罪を誘発するんだ」「お前は再生数を稼ぐために乳揺れ男媚びコンテンツ!」という「彼女」にぶつけられた声は現在のネットで暮らす私達にとって、「人権侵害そのもの」だったのだ。


そして他にも、「温泉むすめ」騒動で一番イヤな感じがしているのは、たとえば「18禁を描いていた絵師が、そのままの名義で温泉むすめの作画に参加してる。これは許さない」というような溢れ出てきた多くの声だった。エロに関わることへの拭い難い蔑視感というか、「あいつは傷物だぞ」「汚れているぞ」みたいなケガレの観念で叩かれた。「こういうことを言い出す人々が、大切にする人権ってなんだろう?」という感想は、多くの人々が思ったのではないか。

昔していた仕事をあれこれいったり、犯人加害者の家族叩きとかにも通じるような「過去に『悪いこと』やったやつは許さない」みたいな話だ。彼らは法的な意味で「人権」に触れなければそれでよいだけで跳梁の限りを尽くし、「人間が生まれながらにデフォルトで備わっているものとしての人権」という概念がないように見える。



こうした私にとっての「あれ???ワタシもしかして同じ数日間を何度も何度もループしてるぅ?これ19236回目???」みたいな、エンドレスイレブン感覚は、どこで生まれたかといえば、ほんの少し前は、とある有名な「保守系アカウント」に対し、こんな事件があったからかもしれない。

いつもは「人権意識がー」「人権が感覚が乏しい!」と憂いていたはずの津田大介氏は「ゴシップ誌」の記事に反応し、早速、次のように呟いた。

「黒瀬深」という「保守系」または「ネトウヨ」の14万人以上のフォロワーを誇る大物アカウントの家族構成やら出身大学晒された。衆議院議員の米山隆一氏が弁護士兼代理人となって、黒瀬氏に対して名誉毀損で損害賠償請求訴訟を起こしている。その裁判のための発信者情報開示の閲覧制限が間に合わなかったことへの「ジャーナリズム」による「悪用」である。

本来、発信者情報開示というのは、本人を特定して、訴状を送るためであり、「悪用」は「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(4条3)でも禁じられている。

普段は「人権人権!」騒ぐ人々が、本人が嫌がってるのに、個人や家族情報を暴き立ている写真週刊誌をもてはやし、彼の学歴をあげつらい、さらには拡散してまわり、「思い知ったか!ざまあみろ」となっている状態がおきたのだ。

この時、性格のいい私は思わず、「これが普段は人権人権いっているリベラールなんですよね!リベラルは人権という概念がない」とか呟いてしまった。

すると彼らは目を真っ赤にして王蟲の大海嘯のように怒り狂い襲ってきた。私宛には大量の「クソリプ」がきた(数日間、通知欄が死んだ)。

そのほんの一部はここにツリー状に投稿して反論した通りなので興味ある人は確認してほしいが、要するに私宛には、「右翼のデマゴーグが家族構成を抽象的に明かされた程度でなに私刑呼ばわりしてんの?」とか、「デマを不問にするとか倫理がお出かけしてるらしい」「学歴詐称の疑いがあったから出身大学晒されるとこまでは流石に自業自得」「私刑と言いますけど、デマをばら撒いた人への批判って私刑にはならないと思いますが」「デマと差別で扇動したから」・・・みんな判を押したように同じことをいいだしたのだ。ちなみに黒瀬氏には、たしかに誤情報を流して、そのあと誠意ある対応をしなかった時もあったようだが、特定人物へ「頃す」とか、「特定民族に対する差別や憎悪」とか表明したわけではない。少なくとも私自身は、そのような事実は、確認していない。

ところが黒瀬氏には、「彼のせいで人生がめちゃくちゃになった」だの「彼は民族憎悪を垂れ流した」だの、「私刑」のあとにそれにふさわしくパブリック・エネミーに仕立て上げられていく流れがあって、私は唖然としたのだ。つまり、なにか罰すべき罪があったのではなく、罰しているあとに、ふさわしい罪がでっちあげられていく(ふさわしい「罪」があろうが「私刑」に変わりはないが)。もちろん私が事実を問いただしても具体的なツイートの提示はなかった。それらをまた根拠もなく信じる人々により「バッシング」が加速する・・・。「魔女狩り」である。なかには「その、万死に値する罪~自殺に追い込まれても文句はいえないレベルの極悪人」とまで言う人もいた。

もちろん「これだけ悪いことをやったのだから」「こいつはツイッターでフカシた学歴をいっていた」といくら並べたてようとも、結局、「私刑」は正当化しない。そこで、一部のそれなりに思考力の働く上澄み部分というか、「人権を愛する人々」は、次にたどり着いたのが、この米山氏の言葉である。後半戦になるとこの論理が増えてきた。おそらくオピニオンリーダーは米山氏である。

要するに「あれだけデマを流したアカウントの真実のプロフィールの一部を示すのは、明らかに公共性、公益性があります」と、公共性、公益性で、「晒し行為」を正当化しようとしている。「正当なジャーナリズム」や「知る権利」があるということだろう。

もちろんそれは「私的制裁の正当化」よりはましな論理であるが、そもそも「『公共の利益』を持ち出しては、人権や言論の自由を制限しようとするのは、『保守』の立場ではなかったか」という話である。以下で既に指摘したように、現代のポリコレリベラルは明らかに「公共の利益」のような「全体主義的」な概念を振り回して、自由(この場合は人権)を抑圧してまわる」と言った通りになっている。この再現だ。

だが、本来、「人権」を大切にするリベラルとは、「公共の利益を理由として、人権を制限するな!」という立場ではなかったのか? そもそも黒瀬氏なる大物アカウントのデマを批判したいなら、当人が公の場で書いた内容を精査し、言論には言論で対抗すればいいだけである。そうした情報のほうが、よっぽど「公共性・公益性がある」のではないか。

そして「公の興味」「大衆的な暴露趣味」を正当化し、「正当なジャーナリズム」や「知る権利」やらいうならば、マスコミが被害者や加害者の家族にガンガン取材攻勢するのもいいのだろうか。その間に、線引きはあるのか。そして京アニ放火事件で遺族が反対するのに、各大手マスコミにより行われた被害者全員の実名報道も、同じことではないか。これも「本人が拒否しても報道できます。公益性なんでね(嗤)」というのだろうか。

そしてたとえば以下のような朝日新聞の記事。

朝日新聞は「眞子さまと小室さん親子、過熱する報道 公益性があると胸を張れるか」と記事にしていたが、同様に黒瀬氏の家族構成や学歴年齢等を晒したことは「公益性があると胸を張れるか?」と問うことはないのだろうか。

それこそインテリなリベラルは、前回書いたように「大衆」を憎む思考回路のパターンから逃れられない。「眞子さまと小室さん親子」への過剰な報道とバッシングを、「この人権意識の低い倫理的に間違った愚民どもめ」「こんな人権意識の遅れた日本の未開の土人どもには、皇室制度とか100年早いんだ」のように叩くのは大好きではないか。

しかしその「大衆の暴露趣味」と、黒瀬氏の件との線引きはなんだろうか? 小室氏やその母親への報道も、「こいつは悪いやつだから暴き立てていいんだ」という「義憤」による実は「ゲスな興味心」や「スケープゴートによる息抜き」「私的制裁」の「公益性」ではなかったか? 

そこに、線引きは本当にあるのだろうか?

以上で問題提起は終了だ。問題提起部分は、多くの人に読んで知ってもらいたかった。だから、このように公開した。


以下より私はこれから「人権人権」と言い出すひとに限って、「なぜ人権がバグってしまうのか」を書き、この問題の最終解決をはかりたい。むしろ「人権感覚が乏しいこの国!」といいながら、嘆く人々こそ、嘆けば嘆くほどか彼らから抜け落ちていくものとはなにかという話、すなわち「人権派のバグ」そのものだ。その根本原因をすっきりわかりやすく解明する。私達のエンドレスイレブンを終わらせるために。

以下のツイートは、ツイッターを始めたばかりの私が本来は「平和なノンポリのアカウント」だったはずなのだが、当時はじめたばかりの政治的なツイートで、つまり今の私の原点といってもよい。

うつけん

(引用元→https://twitter.com/utsunomiyakenji/status/420866062800797696 →https://twitter.com/NIWA_KAORU/status/422229515574583296)

なぜか相当バズり宇都宮氏のなにげない「正しさの様式美のようなツイート」が炎上してしまった。彼にとっては「もらい事故」のようなもので気の毒なことをした。

ここで指摘したのは、すなわち、「人権派を名乗る人々」の「人権への攻撃性」だ。なにをいっているかわからねーとおもうが、私は常に「人権を高らかに叫ぶがゆえに、人権意識がバグってしまう人」と戦ってきたともいえる。勝部元気氏のような「やらかした例」だけではなく、宇都宮弁護士のような「当該社会では圧倒的に正しい」がゆえに、わかりにくい「人権意識がバグった」ケースもあるのだ。

もちろん、死者となった人々にすでに「人権」はない。だが、世界から「お前たちジャップは正しくないぞ」と非難されようと守るものこそが、「人権」なのではないか? 戦後すぐの当時も今も。

「正しさの圧力」の対極にあって踏み潰されないように抵抗するものこそが、「人権」の筈ではないか。

そして黒瀬氏のような「いくら侮蔑しても差し支えのないキモイ存在」とされた人への「人権はないものとされる」攻撃性や、非実在の少女たちの「人権」のために「性犯罪者」呼ばわりされたり、理不尽な攻撃をうける多くの現実に生きている温泉街の人たち。

「人権人権」と高らかにいう彼らに、ものすごい「人権への攻撃性」が生まれる理由とはなになのだろうか。一言で残念な結論からいえば「この世界から、高らかに人権の価値を称揚する人間たちが駆逐されたら、『人権』は守られる」「他者を攻撃したいという欲望の強いものほど、誰よりも弱いものへの愛情と慈しみが深くなり人権を守ることに惹きつけられる」という話だ。何をいっているかわからねーと思うが、これから説明する。

そして最終的に我々の近々の問題を解決するために、明らかにすることは、何故、「人権派」または「女性の人権を守るフェミニスト」の彼らは周囲とこれだけの「ズレ」が生じているのに、いつまでも自分たちの正しさを疑わないのか?(対話が成立しないのか) その問題に最終解決を与えます。

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ニワカは相手にならんよ!専門は文学社会学関係。共同体主義者。フォローすると「政治的に正しくない」言葉に汚染されます。ご連絡はDMへ→https://twitter.com/NIWA_KAORU