「難聴者と中途失聴者の心理学」第2章読書感想文。

第2章 難聴の原因と対策

タイトル通り、医学的なメカニズムについて述べている章。

僕は小学生の頃に受診して「(原因)物凄く大きな音を聴いたことあるでしょ?」「(治療)きみの耳はもう壊れているから治らないよ」という説明を受けて納得しているので、いまさら興味もないしさらっと読み飛ばしていい章だワーイと喜んでいたのだけど、後半になおざりにも出来ないことが書かれていたので感想文をやらなければならない。

今回も自分語りになる。

先述の説明は30年以上前の診断だし小学生だったので詳しくわからず親も覚えてないだろう(さっきラインしたらガチで忘れてた)

難聴にも種類があり、先の診断と本の内容が合致するのは内耳性難聴。「ないじがこわれてる」に聞き覚えがある(ちゅうじより奥のないじがこわれてるんだぞ、まいったか僕は耳が悪いんだぞえっへんという考え方に覚えがある)のでたぶん間違いない。これにより僕は高音の聴力が極端に低い。

さらっと読み進めていた難聴の種類のうち、最後に紹介されていたものが強く心にひっかかった。

APD(聴覚情報処理障害)

聴力の低下はみられないにもかかわらず、聞き取り困難を抱える場合

p57

というこの定義だと僕には当てはまらない。しかし読んでいるとどうもその症状がやたらと当てはまる。

気になって色んなサイトを調べると、“”聞き間違いや聞き返し・長い話が困難・人が多い所での聞き取り困難・広い講堂などの音響環境での聞き取り困難“”など難聴ならそりゃそうじゃね?と言えそうな特徴も当てはまるが、さらに“”注意力散漫・呼ばれても気付かない・類似する言語音の識別困難“”など前章noteに書いたことがドンピシャ書かれていると、やはり僕はAPDなんじゃないかと疑いを強く持った。

本に戻るとAPDという用語や定義などについてはまだ議論がされているようすが書かれていて、

最近では一過性の騒音曝露(中略)によりAPDと類似する症状がみられることも指摘されております。

p57

とあり、あららワイやんけ。となったところで唐突に思い出した言葉がある。

「ほんとうは聴こえてるんでしょ?」

「もっと集中して」「ちゃんと話きいて」親にたびたび言われていた…。たぶん診断されたんだろうと思う、APD(併発?)

APDをざっくり一言で説明してしまうと「聞こえているのに聞き取れない」となる。この本の項目もそれだし、ググったサイトのタイトルにもそれが多いし、医者も親にそう説明したのだろう。「だって先生が言ってたよ?聞こえているって」思い出した。

この説明、良くないと思う。

違うのよ、聞き取れないのよ。あなたも相手が知らない外国語しゃべってたら聞き取れないでしょ?聞こえているのに。

しかも僕は「聞こえているのに聞き取れない」ですらなく「聞こえてないのに聞き取れない」のだ。何を言ってるかわからねーと思うがありのまま今起こっていることだ笑

APDの潜在的な患者数は、推定240万人にものぼる

下記より

https://www.signia.net/ja-jp/blog/global/hearing-health-auditory-processing-hearing-loss/

んだそうです。あなたの周りにもいるかも知れません。ざっくりと「難聴」の知り合いがいたらどうか「ちゃんと聞いて」とは言わないであげてください。

さらにAPDの興味深い点。

APD症状がある場合には、発達障害や言語発達遅滞など別の障害がある例がほとんどであったとの報告はみられます。

p58

生まれた我が子がろう者だった場合「あれ?ウチの子もしかして…聴こえてない?」と気づくのはわりと早い段階ではなかろうか。

これが難聴だったらどうか?「なんかウチの子、頭悪いな」「発達が遅いのかな」とか「変な子だな」としばらく気付かないのでは?僕が受診したのも小学生だったし。

周りにも本人にも理解されない難聴だけを持った発達障害のない子がいたとしても、コミュニケーションの失敗を繰り返すことによって自閉的になってしまったり、注意欠陥や多動性に繋がり得ることは想像がつく。

本当に聴こえないのか、あるいは脳機能の問題か。それとも発達障害か、あるいは併発し複雑に絡み合っているのか。その診断はプロの医者でも難しく、だから今でもAPDの定義が議論されているのではなかろうか。


お前は発達障害だよな。

これも親によく言われていた。なんか周りの「常識」との乖離や生きづらさみたいなものも感じていたので、そうなのかもなと思っていた。

しかし、ネットが普及したいまセルフチェックなんかを見かけてやってみても、そんなに当てはまらなかったりする。

じゃあ僕はなんなんだ?本にたすけを求めると「お前みたいなやつをグレーゾーンって言ったりするみたいぞ?」と。なんなんそれ。

ろう者ではない難聴。発達障害ではないグレーゾーン。ぼくは何者ですか?


「つんぼ」というアダ名をつけられたことがある。

みなさんどう思われるだろうか。「ひどい」「差別だ」と思っただろうか。でも僕はこのアダ名がとても好きだった。愛されていた。理解されていた。

障害者を差別するなという人がいる。またある人は配慮しろと言う。また違う人は健常者とおなじように扱えと言ったりもする。

僕個人は、障害者は差別しろって思う。
理解、してほしいんだ。

でもこういう話は僕自身、言い訳をしているように感じてしまうし、読んだ人のなかにもそう感じる人もいるとおもってる。

ぼくは何者なのか、まずぼくが理解して、表現していかなきゃならない。


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