涙なしでは歌えない歌。9/6「お前の健康を語れ」感想日記。
↑先日「死についてのハドル」でゲスト参加してもらった もろこしさん。また別のリングを作って殴り合いたいなぁと言っていたらリングを用意してくれたので、今度はゲストとして殴りに行きました。気持ちえがった↓
今回はその「感想」と銘打ってはいるが、もろこしさんのnote、何度も読み返してご満悦になるクオリティで、ぼくは感想書く必要ないな〜わーいと思っていたのだが、それから何日か経っている今でも心に引っ掛かる問いがあったようで、なにかに触れては考えている自分に気付いた。その問いがコチラ。
涙なしでは歌えない歌があった。
て言うか泣いちゃって歌えなかった。歌えるまで3ヶ月かかった。
泣くことと泣きやむこととは、どんな作業だろうか。問う、答える、いたわる、ゆるす、納得する、腑に落ちる、乗り越える、諦める、血肉になる。
自分で書いたnoteを読み返す。
ぼくにはその癖がある。恥ずかしながら、読んで泣いている。さいきんでは下のnoteがヒット作で何度も泣いた。やっと泣かずに読めるようになった。
過去にも同様に読み返しては泣き、そして泣きやんだnoteがある。1年前のものだ(と思ったら半年だった)が、納棺師の方から思い出したように「スキ」がついたので、どれどれと読み返してみたらまた泣いてしまった。
泣くことと泣きやむこととは、どんな作業だろう?
おなじ言葉を何度も自分に染み込ませる。
手にしたつもりが忘れている、或いはそもそも手になんかしていない。
繰り返し、繰り返す。
もういちど、言われる。
「お前の人生だ お前が決めろ」
そして感謝と慈しみが生まれ、泣く。
問い。誰に対する感謝と慈しみでしょう。
「自己理解最高」という宗教。
と言われればたしかにそうで、ぼくは「真善美しか勝たん」とかよく言ってる。しかし宗教は押し付けてはいけない。
ただ今回の問いを通して、自分と向き合うのがつらい人って「追体験」で立ち停まってしまい、その先に行くちから(問い力とか?)がないのかもなぁ?と思った。
時期やタイミング、鏡などの縁もあるだろうしなあ〜。感謝(慈しみ)。
なんか泣いちゃう音楽とか本とか映画に触れるのはよいかも知れない。
押し付けはしないが、スキあらば布教していくスタイルである。おわり。
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