7/29 死についてのハドル【第2回 芸術と死】まとめ
ハドルとは
サムネは今回のゲストかげちんさんの作品。
かげちんさんがたまに上げてる作品が僕は好き、Slackでは「前向きな希死念慮」的な発言されているのも目にし、「芸術と死」でハドルするなら是非お話聞いてみたいと打診。今回はまおりさんと3人の鼎談を企画、、したのですが、、10時スタートでぼちぼち人が集まるまでのアイドリングトーク中に事件発生。ちょいちょい合いの手いれたり自分も話そうとするのですが、
音声が出ないバグ。(後から調べたら設定が謎に変わってただけの話でしたが)もう今回はこのままコメントで参加しちゃえと始めました(皆さん失礼しました)(でも結果この形が良かったかもな〜マイクオン出来てたら2人の話を邪魔しちゃったかも)(起きるべくして起きたバグなんちゃうか〜などと)
メメント・モリ?
「前向きな希死念慮」は僕の中では「ちゃんと死ね」という言葉になるのだが、かげちんさんはどんな解釈しているのか尋ねた。
曰く「すでに死んでいる」と。
わかるぅぅぅぅう(??)。僕たちは生をやってるようで、死をやってますよね。なので還る場所でもあるのだけど「ちょっと待っとって」というかげちんさんの言葉が響いた。
なぜ、待たせるのか。僕たちは「ちょっと」のあいだに、何をするのか。
さらにかげちんさんは「犬、魚、、森、」とおなじ「癒やされるもの。」死はそういうものだと言う。前向きな希死念慮だ〜〜〜😇。
ん〜〜メメント・モリ。
メメントモリ自体も解釈は色々あるけど、僕は「死を愛せよ」と訳している。勝手に。
君はなぜ描くのか?
「たしかにその面もあるな」「でも、う〜〜ん」と唸るかげちんさん。うんうん。出て来た言葉は、
「自分でいられる」「使命感」「ぜんぶネタになる」
前回ハドルの「笑い」にも通じるな〜
まおりさんも陶芸や華道をやっているので、それについても問う。
「陶芸は合気道」「精神を整える作業」
「生花はその瞬間のベストを尽くす」「あるものでやる」
「芸術家じゃなくても芸術を持つことが出来る」
「心が死ぬ」とかげちんさん。
芸術を目指したわけではなく、芸術は「あるもの」から見い出したもの。自傷行為が昇華されたもの。
「気がついたらやっていた」
長くなったので続きはまた〜
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