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陶芸クラス〜わたしと粘土のあいだ〜

陶芸クラスに行き始めた。陶芸は学生の時にクラスを取り一応ろくろを使った工程を教えてもらったが、手捏ね作品メインに作っていた。始めた理由は花器と素敵な食器を創りたい。在米で特に生け花向きの花器はこちらであまり売っていなく良いものを見つけるのが難しいので、ないのなら自分で作ってしまえだ。

粘土とのあいだを見つける合気道

クラスは少人数で細かく見てくれるところだった。

ろくろのコツ。
ー粘土を真ん中に置く
ーろくろから離れすぎない
ー腕を固定させる
ー粘土にかける力と手の位置と角度、ろくろのスピード加減の感覚を掴んでいく

ということは、自分と粘土の丁度いいあいだ、中点、ベストを探していくことだ。

ん?これって合気道では?ここ数年合気道化師マツリ氏のnoteからから合気道の概念を学んでいるがまさにこれだと思った。合気道は対人との物理的な動きだけではなく、色々な場面で概念が見られるのだ。

陶芸は粘土とじぶんのあいだを見つける合気道だった。

思考を捏ねるな 粘土を捏ねろ

ろくろを回している時、精神状態、考えていること、その日の気分が粘土にそのまま現れる。粘土はじぶんそのものなのだ。

初心者なのでまだ慣れず上手く形成できず、焦り、苛立ち、投げやりな気持ちになったりする。加えてクラス前から考えごとなどあったりすると更に余計にだ。もうこの場を立ち去って帰ってしまいたいくらいの時もある。絶対にやらないけど、失敗作を叩きつけたい衝動にも駆られたりもする。かなり我慢強い私でもそう思ってしまうので、短気の人は陶芸をやれるのだろうかと思った。

慣れてきて感覚を掴み、粘土とのあいだを容易に見つけられるようになっても、精神の在り方がダイレクトに影響する。

粘土とわたしのあいだは思考や感情がいっぱい、モヤモヤして、粘土とのあいだを埋める。あいだが見つけられない、取れない。楽しい、嬉しい良い気分でも切り替えられないと、それでいっぱいになり集中できなくなってしまう。

陶芸でなく他の作業でもその面は同じだが、陶芸だと形にすらならない。できない。0から1に形を自分で作り出すのだから。ある程度形があるものからの制作ではない。全てがダイレクトに出る、わかる、在り方の結果そのものを見せつけられる。

思考を捏ねるな。整えろ。切り替えろ。在り方を変えろ。今この瞬間に居ろ、在れ。粘土と向き合え、一体化しろ。

在り方の修行

作品より先ず自分の在り方だ。作品は掴んだ感覚と在り方の産物。クラスに物を作りに行っているのではなく、精神修行に行っているような感じだ。スタジオが道場。

これから色々な工程で作品を破損したり、アクシデントで自分や他の人が落としたり、焼成後思うように焼けてなかったりと色々精神を試されることが多数出てくるだろう。

すぐに完成されないものなので、短時間で活け完成させる生け花とはまた違った種類の学び、修行だ。

自分に向き合い精神性を磨き、素敵な作品を作れるようになっていきたい。

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