庭ぐらしダイアリー hatake day11

今日は夕方に急いで畑に行ってきた。
玄関で足袋を履いて、自転車のペダルをこぐ。
いつも中間地点までは、自転車で行ける。
それ以上は坂が急できつい。
自転車を押しながら、ボーっと考える。

突然、軽快な音が鳴った。
パッパッパッパパパパー♪
近くの高校かと思ったが、どうやら住宅街の中から発せられたらしい。

ふと自分が昔、金管クラブにいたころを思い出した。
いろんなドラマがあったけれど、それも含めてよかった。

オオーーー
歩いていると、高校のグラウンドで野球少年達が練習している。
あの時は、学校の授業と部活が全てだった。
だからこそ苦しかったし、だからこそ楽しかったのかもしれない。

学生時代しか堪能できなかった、「生活」があった。
「学校」とはつかず離れず、ずっと付き合っている気がする。

嫌いだと思っていたはずなのに、何かを学びたくて、「学び舎」にいることが好きだ。
「学び舎」を自分なりに使うのが好きだ。
さらに広げて、新たな可能性を探るのが好きだ。
その時その時の学びの場で、楽しめればいい。
いろんな過ごし方があるから、好きなように過ごせばいいと思うのだ。

歩いていると、自転車に乗っていると、そんなふうに自分を省みる時間になる。

畑に着く。誰もいない。
静かに吹く風と、山と、暗くなりがちな空と雲しかない。
じょうろに水を入れて、待つ。
今さっき、ショッピングモールからきているとは思えない。
足袋は軽快に動けていいな、と思う。
足袋を履くだけで、なんだか身軽な感じである。

畑の作物は、うまくいっていない。
なかなか芽を出したり、成長するのに苦労している。
ただ、なんとなく見守ってやりたくなっている自分もいる。

これはわたしの持論だが、畑はエネルギッシュだ。
だからこそ、力が弱いものは、淘汰されてしまう。
風、水、虫、鳥、、、自然社会の洗礼を受ける。
だからこそ、種を直接撒くのではなく、苗まで育ててやるのかもしれない。
自然社会の中で育っていけるように願いも込めて、、、

自然は、思うとおりに行かない。
計算通りにもいかない。
逆に計算通りに行ったら、わたしはびっくりするかもしれない。

わたしが尊敬する人も、ゆるやかに野菜を育てている。
世話を頑張ってせずとも、育たせていくのは、”パーマカルチャー”の良いところだ。
目を掛けてやらない、というわけではない。
自分も相手(作物)も楽に育てるデザインを考えること。

ゆるゆるとしながらも、作物を育てることは、わたしの願いでもある。
明日は雨予報だが、なんとなくこの畑は気になる。
いかないと気が済まない時もある。


まだ畑くんとどう付き合っていいのか、わからない。
わからないからこそ、これから探っていけるという希望もある。
そんなふうに思う、今日この頃である。

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