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いじきたない

※写真は弟にもらった紫芋タルトのロールケーキです。

昨日、大事なものを捨てた、と先輩にメッセージしたら、思い切ったねえと返事がきた。そうですかねえ、と返しつつも、そんなに思い切ってもない。ただ、一つ付け加えておくなら、わたしも捨てることは苦手だ。

ふと携帯に表示された文字を眺める。「思い切る」。思いを切る。

なんとなくその言葉と、昨日のわたしのものを捨てる行為が結びついた。頑張って、というよりはくるべきときに従ったら思いが切れた(=ここでは、捨てれた)と言う方が正確かもしれない。

わたしは捨てるのが苦手だ。つい、これはもう手に入らないかも、とか思ってコレクションしてしまう。そんなときに母は容赦なく捨てる。それに釣られて、身を斬るようにしてわたしも物をなんとか捨てたりしていた。

母にとっては物への思い、というのはないのだろう。わたしは執着してしまう。

ものを貯める、捨てるの話になると聞こえてくるのは、ある会社の社長だった。社長はサバサバしつつも根は優しい、ちょっとわかりにくく不器用なタイプだった。けれど、仕事をガンガンこなすキャリアウーマンで、歯に絹着せぬ物言いは、同じように戦ってきた女性に支持されており、そうしてクライアントを獲得していた。

ある日、先輩がレシートをたくさん取り出し、事務所のテーブルに並べていた。レシートの整理を溜めていたのだろう。普段からものを溜めていた先輩に対して社長がすかさず、「〇〇さん、もう溜めるのはよくない。それはもう、いじきたないで!!」と鋭く突っ込んだ。

わたしはその圧と言葉の強さにびびって、なるほど、そうかと心の中で必死にメモをとっていた。わたしもそうかも、と。
救いなのが、言われた当の本人は全くダメージを負っていない。そうですかねえ、みたいな感じで開き直ってるようにも見える。そんな先輩だから、社長の言動にも共に付き合っていけたのだろうと思う。

先輩を通して、社長の鋭い言葉を受け取ったわたしは、まるでわたし自身に言われたことのように、今もそれを時々思い出す。あのときは、スパッと捨てられるようにならなきゃ、と無理そうなのに言い聞かせてできるようにしようとした。そう思っていたけれど、今なら自然な流れで捨てたりできる気がする。
流れの中で、今心地よい選択ができればいいのだと思う。

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