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~息子に発達障害の診断が下りるまで~ 第7話:現地の幼稚園での様子

 前回のお話はこちらです。

 息子は現地のインターナショナル幼稚園に通っていました。住んでいた地域にローカルや日系の幼稚園がなかったため、選択肢はインターナショナル幼稚園一択でした。幼稚園には息子以外に日本人はおらず、現地の子と諸外国の駐在員や外交官の子が半々くらいで在籍していました。使用言語は、午前中は現地語、午後は英語で、それぞれネイティブの教師が担当しました。

 入園当初、息子は全く英語が話せませんでした。ただ、新生児期から私の趣味で洋楽は毎日一緒に聴いていました。また、私の仕事柄外国人と会う機会は多く、社内の家族イベントに息子を連れて行くこともよくありました。そのためたとえ話せなくても、外国語環境に身を置くことに抵抗はない様子でした。慣らし保育期間中も初日だけ少し泣きましたが、2日目に迎えに行った時には、

「もう帰るの?これからおやつの時間だから、僕も一緒に食べたいって先生に言ってくれない?」

と、ひょうひょうとした態度でした。3ヶ月くらい経つと徐々に自分でコミュニケーションが取れるようになり、週末や放課後一緒に遊ぶお友達もできました。

 この幼稚園はレッジョ・エミリア教育を取り入れていましたが、図らずも息子の特性に合っていたのでしょう。

◆レッジョ・エミリア教育とは◆
イタリア発祥の比較的新しい教育法で、あらかじめ定められたカリキュラム・時間割が一切ありません。教師は答えを教えるのではなく、子ども達が何を学ぶか主体的に考え探究できるよう、サポート役に徹します。

息子は興味のあることはとことん突き詰めますが、逆に興味のないことには全くやらない特性があります。そのため、奇しくもこの幼稚園の教育方針は彼の特性にマッチしたようで、とても楽しんで通えていました。(その分本帰国後、日本の幼稚園に入り直した時が大変だったのですが、その話はまた別の回でお話したいと思います。)

 クラスメイトも国際色豊かで、10ヶ国以上の海外子女が集まっていました。皆日本の子ども以上に個性が強く、自己主張をハッキリするタイプのお子さんが多かったように見受けられます。外見も性格も、皆違ってそれが当たり前。そんな意識が根付いた環境でしたので、息子の特性が目立ちにくかったのだとうと思います。

 入園時の面接や年に数回ある保護者面談でも、特に発達に関する指摘を受けることもありませんでした。クリスマスのお遊戯会など行事も、少なくとも私の目には他のお子さん達と同じように参加できているように見えました。毎日大変だけど、子育てって皆こんなものなのかな・・・そんな思いを抱きながら、2年の時が経過しました。

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