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読書メモ『脳のなかの自己と他者』

一章
p5 指向性 瞑想などによって対象のない意識ができるかも(あるいはそれはもはや無我で意識ではないのか)
p12 幻肢 情報によって修正するのはたやすいが、情報がないことによって修正するのは難しいという非対称性が幻肢の頑強性に関係か
p13 視覚像が付加されたというのではなく 人間の感覚は多感覚の情報を最尤推定などで統合し推測を経て行われる、情報がない(非常に信頼度が小さい)体性感覚と鮮明な視覚が統合されるとき、より信頼度が高い情報に引っ張られるのは計算論的にももっともである
p32 運動前野の神経活動と体性感覚ドリフト(のようなもの)を比較し、運動前野のニューロンの性質と活動からドリフトの大きさをデコードできたという研究が最近出た https://www.pnas.org/content/116/40/20151
章全体 最近では位置は多感覚の最尤推定で、所有覚は推定された位置と世界モデルから因果推定でベイズ的に計算されるというモデルが提案されている 自他境界も因果性から分離するというモデル(マルコフブランケット)が話題である そういった意味で外界と相互作用する身体の重要性は本書で述べられているとおりである(2章でも同じようなことが言える)

二章
p47 ハイデガーのハンマーの例は谷淳先生が予測誤差によって意識に上るときの例でも使われる(普段は一体化して意識に上がらないが釘が飛んだ時意識に上がる)
p62 くすぐったさは魚などでも見られ、進化的に撫でられるなどの社会的関係のためにできたというよりは広く保存された予測誤差というシステムの副作用のようなものらしい
p69 意図性バインディングもベイズ推定と因果推定で説明できるという数理モデルがある https://www.nature.com/articles/s41467-019-12170-0
統合失調症は運動だけでなく、思考も主体感がなくなるが、思考の遠心性コピーと順モデルを使ったコンパレータシステムというのは考えられない、この辺りはどうなっているのか

3章
p100 医師や行動は常に情感的 例えば適当に風景を見ている時でも、情報のサンプリングの仕方(サリエンシーマップに応じた眼球運動)などは、情報を得ようとする意志である、このような内的報酬からくる価値を含めると、本当にすべての行動が情感によるものに思えてくる
情動、つまり価値判断から意識が生まれるというのは『ハーモニー』のアイディアに近い

4章
p152 自閉症のミラーシステム 最近では小脳の障害と自閉症の関係が話題になっているが、これは逆モデル(運動から意図を推測する計算)がうまくできていないことによるものだろうか

6章
p212 情動的共感と認知的共感 サイコパスとASDの違いはこれか
p228 共同主体感 こっくりさんは共同主体感が生まれない例であろう

7章
p244 記号接地問題 圏論の米田の補題による意識の再定義がこれを解決していると主張している人たちがいる(すべてのクオリアの関係性が分かれば、それこそが定義)
p251 「いまここ」に縛られない意味、すなわち記号 意識は反実仮想によって生まれるという説があり、この辺りと関係しそう
p262 プロジェクションはベイズ脳仮説(予測コーディング)とは違うらしいが、認知的な意味は事前分布としてモデル化できる気がする(というより現在ではしている)

全体を通じて
とっかかりすらつかみにくいテーマを哲学的アイディアから出発して、様々な実験データをもとに神経科学と接続していく流れは非常にエキサイティングだった。しかし、全体的に様々な示唆を与えてくれている計算論的な視点がなかったのは残念。

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