天秤

noteを始めた。

正確には以前に登録していたようだが改めて書こうと思い登録しなおしたのだ。

何のことはない、普段Twitterに書き散らしているどす黒い自己嫌悪とわだかまりを吐き出す場所を変えようというだけだ。

後、ブルーカラーに転職したのでタイピングを忘れないようにするため、という名目もある。


僕の行動原理は基本的に天秤だ。2つのものを比べ、重さの多少を測るアレ。基本的に怠惰極まりない人間なので、何もすべきことがなく、やりたいことがなければなーーんにもしない。「すべきこと」も期限が相当近づかないと動けない。夏休みの宿題の頃から何も進歩がない。では、期限が近づくとどうなるか。ここで天秤が脳内に登場する。「すべきこと」を怠って被るデメリットと「すべきこと」に手を付ける億劫さを天秤にかけるのだ。

唐突だが、僕はゴミが出せない。宗教上の理由とかではなく、めんどくさいのである。ので、一人暮らしにも関わらず45Ⅼのゴミ袋が4つも5つもたまる。以前住んでいたところは回収前日の夜に出してもよかった。だが、常識的に考えて、仕事から帰宅した後ゴミ袋担いで外に出たいか? 普通に無理なんで、深夜にしこたま酒を飲み、酒の力を借りてゴミ袋を担ぎ出ることがもっぱらであった。

だが、引っ越して状況が変わった。当日朝9時までに出せなどというのである。さらに無理だ。こうしてゴミ袋はたまり、ゴミ回収日の朝を絶望の起床で迎えるたびに自己嫌悪する。客観視すると非常にアホなのだが、当人は真面目なのだ。この時天秤にかかっているのは「ゴミを出す行為のめんどくささ」と「ゴミを出せなかった時の負の感情」である。別に家がゴミであふれて困っているわけではない。極論庭にでも投げておけばいいし。だが、もはやそういう次元ではなく自分との戦いになっている。ウケる。

そういう葛藤を経て僕は数週間に一度たまったゴミを担いでいく。天秤がゴミ出しへ傾いたのだ。


私生活はこうやって常にめんどくささとの戦いをしている。この連休は無事完全敗北した。洗濯、自炊、掃除、片付け 結局やろうとしていたことが何もできず、生き延びるために最低限必要な食事しかしていない。そして最終日の晩には死にたくなる。


誰しもめんどくさい、やりたくないという感情は持っているのだろう。だが、この天秤を行動側へ傾けるのは僕のような非定型発達者にとって難しいと感じることがある。天秤のもう片方の「めんどくささ」が異常に重いらしい。


少しでも人間らしく生きられるように。一般人に擬態して、社会の底を這い蹲って明日も生きていこう。

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