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#1 学びが世界の解像度を高める。

 真に「学ぶ」とは、どういうことか。
 僕は肌感覚で「これが真の学びなんだ」と感じた経験がありました。


指導者を目指した経緯

 僕は高校野球の指導者を目指し、大学時代には中学硬式野球のクラブチームで指導を学びました。
 僕は高校野球では私立高校ではキャプテンを務めましたが、背番号は「14」。自分自身は優れたプレーヤーではありませんでした。でも、野球は好きで、指導者としては負けたくないという思いからプレーヤーとしてでなく指導という道を早くから歩き始めることを決めました。
 そして、クラブチームのコーチとして迎え入れていただき多くの方とのご縁を結んでいただきました。

人生の中で最高の幸運

 クラブチームのコーチになった年、僕の人生にとって最高の幸運が巡ってきました。出会った日から僕の憧れ・目標となった「ある方」との出会いです。
 僕はその「ある方」から心の持ち方・振る舞い・ものの見方・ゲーム運び・技術など多くのことを学びました。
 そして、この時心に決めたことは、共に過ごせる限られた3年で「できる限りその人になる」ということです。(到底及ぶことは出来ませんが。)

・いかに学ぶか

その3年で僕が意識して学び取ろうとしたことは

「ある方」と同じものを見て、どんな時に何を言うのか、意図は何か、どんな言葉を使うのか、目の前の出来事がどう映っているのか

ということです。
 自分が独り立ちして、同じような場面に遭った時同じ判断ができるか、同じことが言えるか。そのために得た経験を整合することを繰り返しました。
 そして、自分の整合に間違いがないかを確認するために、

同じ様な場面が来たら、こう言うだろうということを先に言ってみる

ということに取り組みました。
偉大さに萎縮して指導できないとか、自分が間違ってるかもしれないとか、そのようなプライドじみた感情は捨て、「自分の中にあるエラー」を積極的に確認・修正することに励みました。

学ぶことで世界が変わって見えた
 そのようにして3年を過ごすと、少しずつ自分の中に考え方や価値観が定まり、あらゆるものが見えるようになっていることに気がつきました。
 必死になって「ある方」に近づこうとした過程は、間違いなく物事をみる解像度を高め、自分に見える世界を大きく変えた出来事でした。

・「真の学び」とは
 僕はこの経験から、「真の学び」は

ロールモデルを本質から真似ることにある。

と感じました。
 表面的な方法論や技術論だけでなくその根底には何があるのか。あらゆる物事に付随している条件を含め学びとることが、「真の学び」につながるのではないでしょうか。


船出には地図と方位磁針を欠くことはできない。

自らの現在地を見極め、目標までの時間と距離、道のりを測る。
小学校の時に習った算数が、目標を叶えるためには1番大切なことだったのかもしれないと思うこの頃です。

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