80年代は古いか2023

「昭和じゃないんだから」みたいなツッコミ、「昭和レトロ」と言ったりする際、1950~90年代がすべてゴッチャになっている。
ま、それは別にいい。「テレビ時代劇」と言ったって、徳川幕府は270年も続いたのに、設定的には「270年間の違い」を緻密に表すようなテレビ時代劇は、あまりないだろう(NHK BSとかでやってそうな気がするが、私が言っているのは「暴れん坊将軍」みたいな「ベタな時代劇」のこと)。

2000年代、だから15年くらい前、自分は80年代にこだわっていた。
私は1980年に中学一年生になったので、80年代が自分の思春期や青春時代とほぼ合致している。
だから、プラスの思いもマイナスの思いもある。
ただ、やはり80年代前半にはとくに、
「暗いところからパーッと明るいところに出た」
ような感覚が、どうしてもある。
70年代と80年代は明確に、劇的に違うもので、「暗い70年代を忘れて、何もかも吹き飛ばそう!!」みたいな感覚が(あくまで感覚として)あったのだ。

現在、80年代が「昭和レトロ」として好意的に取り上げられる場合、あるいは「昭和の時代はこんなだった!!」みたいにマイナスの驚きとともに取り上げられる場合、それは80年代がひきずってきた「古い側面」である。

確かに80年代には引いてしまうような古い慣習が残っていたり、いわゆる「ブラック校則」(80年代当時は「ブラック校則」という言葉はない)が報道されたり、「校内暴力」が問題となったりと、いろいろあったが、それはまあ、いつの時代にもある話でもある。
それに、私個人のことでいえば「そういうところに近寄らなければいいんだ」と思っていた。

しかし、その見込みは間違っていた(急展開)。

実際は90年代初頭から、社会人になってからビックリするようないろいろな古い慣習に悩まされ、ノイローゼになるまで追い込まれる。

哲学も、オカルトチックな考えも、心理学も、自己啓発書も、芸術も、音楽も、アニメも、特撮も、お笑いも、何ひとつ、自分を救ってはくれなかった(エンタメとしては楽しんだものもあるが)。
自殺も殺人もしなかったのは、単なる偶然にすぎない。

「〇〇が自分を救ってくれた」とか、自分にはないんだよね。
あるなら出て来てほしい。いや自分からも探しに行きたい。ピカチュウをおともに連れて。

しかし現実は、自分で積極的に自分を取り巻く社会状況を変えようとも思わなかったし、変えられるとも思っていなかった。
本当、ひどいやつばっかりでしたよ。

2000年から過去をさかのぼると、1999年に「ノストラダムス」にまつわるから騒ぎが終わり、95年にはオウムによる地下鉄サリン事件(彼らは、少なくとも彼らの中の何十人かは社会変革・自己変革を求めたあげく凶行に走った)、阪神大震災、バブル崩壊(戦後の「日本復興」神話が崩れる第一歩)、バブル時代(みんなが無責任にうかれ騒いでいた)、ミヤザキ事件によるおたくバッシング、そして80年代の「新保守主義」の台頭と60~70年代に新左翼がやってきたことの否定、反省。その結論が「みんな一歩いっぽ踏みしめて、地道に生きて行こう」。
そして息抜きにアニメを観ているとおたくだのなんだのとバカにされる(息抜きをバカにされるのは相当キツい。気が狂ってしまう)。

そして逆に2000年から未来を観れば、翌年の2001年には「アメリカ同時多発テロ事件」が起きる。

何もかもすっかりイヤになった私は、「蒟蒻畑」のCMの踊りを一生、踊り続けることを誓い、二秒で挫折した。

私の墓は、モアイ像のかたちをしていて、「モアイ像かあ」というつもりで観に行くと、路上でほとんどの人に気づかれずに鎮座している小さなお地蔵さんより小さかった。

涙を流してくれる人はいなかった。

そう考えると、やはり80年代は古かったのだ。
何しろ、悪役レスラーのダンプ松本が「本当の悪人」と思われていた時代だからね。

さらば。

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