「真の」いけすかない評論家をなぐりたい(とくに思ってない)
評論家は多くの場合、フィクションの世界では悪役だ。
ひと様が必死にクリエートしたものを、いとも簡単に否定したり、ネガティブキャンペーンを貼って作中の主人公の足を引っ張ったりする。
そりゃあまあ、そういう物語のつくり手が、「評論家に勝手に評価されるのってどうなん!?」と思っているからでしょうね。
実際のクリエーターでも、評論家への敵意を隠さない人もいる。
とくに評論家の存在をぜったいに認めないのが、落語以外のジャンルの、テレビで活躍する芸人たちである。
芸人はときにはダメ出ししてくる放送作家も認めない。
しかし放送作家はある程度、クリエイティブに関わっているので、まだ許される。
イベンターなども同様。イベンターはお笑いライブを成功させるためには、目利きでなければいけない。だからときには評論家的な役割として担ぎ出されることがあるが、「大きな興行を打てる」ことは実質的な武器なので、芸人もとことんさからったりする人は少ない。
しかし「単にめちゃくちゃたくさんお笑いを観ている」とか「お笑いにくわしい」だけの人は、あまり認めない。むろんお笑い評論家的な人の主催ライブみたいなものがあって、そこに出演する芸人もいるが、何となくお笑い界でそういうのはまだ認められていない気がする。
こういうことは他のジャンルでは、あまりない。
映画評論家、文芸評論家、アニメ評論家、とくに違和感はない。
お笑いだけが突出して、「お笑い評論家」を認めない(ただし、寄席芸などの「演芸評論家」は昔から存在する)。
そして、これが大事なのだが、それでだれかが困ることもない。
その理由について書こうと思ったが、面倒なのでやめる。
このテキスト自体が一種の批評行為で、芸人さんからはよく思われないだろうからだ。
そのことは、お笑い好きな私としてはマイナスでしかない。
芸人にきらわれることなんて、書きたくないよ。
話変わって、ここは花のお江戸。
この大江戸八百八町に暗躍する男がいた。
その名は、名田出個々二郎(なたで ここじろう)。
世界で初めて、豚汁に七味とうがらしを入れた男である。
この男の大冒険については、畳の網目を観ていると浮かび上がってくると言われていますが、最近は畳のない家も増えているようですね。
じゃあ、わからないね。
ばいちゃ
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