寒い、あとは歯が痛かった、尊敬できる有名人とは
一昨日、歯医者に行き一回目の治療をして、麻酔が解けた後も、治療した以外の歯が、ものを噛むと痛かった。
今現在(午前7時半頃)にはそれほどでもないのだが、昨日は「ものを噛んだり歯を食いしばったりすると痛いな」ということを確認して一日が終わってしまった。
みんなも経験あると思うが、歯が痛いと何をやっても楽しくないからね。
以上、歯痛の話は終わり。
若い頃というか四十代初めくらいまでは「この人はおれの考えを見透かしているかのようにものを考えている、すごい、ついていくならこの人しかいない!」というような有名人が自分にはいたものだ。
今はまったくいない。
まあ、トシのせいだと思う。
中高生の頃とか、ホントにしょうもないアイドルとかテレビ番組とかも、キラキラ輝いていた。
私はなんてことのない、ゴールデンタイムでも深夜帯にやっているわけもでもないバラエティ番組がものすごく好きで、つくり手がどんな気持ちでつくっているのか知らないが、中高生、大学生くらいまでそれらはまぶしいほどの輝きを放っていた。
私は秋元康の書く歌詞は好きでも嫌いでもないのだが、80年代、彼がまだトレーナー姿でテレビに出ていた頃、
「自分は自分の内面をさらけ出すことによって作詞しているわけではない、仕事だからやっている」
的なことをあちこちで言っていて(AKB以降はどうだか知らないが)、それで秋元康の歌詞に、泣いたり、鳥肌が立ったりということはなくなってしまった。
しかし何も知らずに秋元康叩きをしている人よりは、自分はいい歌詞を見つけてきているとは思いますけどね。
まあ80年代というのは、今で言う「エモい」ことをわざと回避するようなところがあったからね。当時の秋元康もそういうのに乗っていたわけで。
「システムでつくってます」みたいなことを強調するのがかっこいいと思われていた時代です。
とにかく「何でもないようなことで感動して泣いてしまう」ようなことはトシをとって、少なくてもメディアに関してはなくなってしまった。
「この人の言動はすごい、この人しかいない!」と思える人が自分にとっていなくなってしまったのは、「どういうところからその言葉が発せられるか」がある程度わかってしまったからだと思う。
彼(彼女)がどういうハードルを越えて、その言葉を発しているのか、ということがだいたいわかってしまったのだ。
で、「自分にはとてもできないな」と思う。
で、「勝手にやってください」となる。
たとえば「人としゃべるのが苦手、対人的な関係性をつくるのが無理」と言っているタレントがいたとする。
その人の言っていることは、その人の実感としては本当であると思う。
しかし基本的に、ネットを使わないで他人に情報(それは歌とか演技とか文章とかも含む)を発信し、ある程度認められている人、というのは、何もしないで家に閉じこもっているような人(時には私にもそういうことはある)とは、まったく違うと思う。
たとえば演劇部に所属したことがある人がいたとして、演劇部に入ってくる人たちは「人前で何もやりたくない」というようなことは、まずないと思う(「できることとできないこと」があるとは思うが)。
スポーツの部活も同じ。なぜなら、スポーツは基本的に人前でやるから。
アスリートにお調子者が多いのも、「人前でスポーツをする」ことに慣れているからだろう。
自分はそういう環境にいたことがない。
普通の人にとっては、何かを発表したり、人前に出て何かをやることは大変なハードルである。
文章は発表できても、人前ではしゃべりたくないという人もいるし。
その逆もある。
ただ、そんな私でもごくたまに、メディアを通して感動することはある。
ただ、十代の頃の一万分の一くらいじゃないですかね。
この文章、ここまで書いてきて、なんてつまらないんだろうな……と思う。
なんてつまらないんだ。
自分でもあきれるぜ。
だけど、仕方ないな。
みんな、タダで読めるんだから。
まあ、スマホ代とかはかかってると思うけど。
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