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ひとつも面白くない、配信者ディスり

さっき見たテレビの漫才で「配信で投げ銭もらっている人はデジタル恥さらし」って(もちろんギャグとして)言ってたけど「???」って思った。じゃあnoteでテキストを売っている人も「デジタル恥さらし」か? クラファンはコジキか? もう少しよく考えてみてほしい(最近こんなことばかり書いてる)

漫才のネタで、今さら「ネットで表現して対価をもらう」ことをコジキみたいに言うってことは、新型コロナ前、芸能人が大量参加する前の、芸人側の「ユーチューバーディスり」がいったん落ち着いて、また再燃してきてるってこと。しかしその意味がよくわからない。
が、たぶんそういうネタづくりをしている人たちは、何も考えていないんじゃないかと思う。

なんかテレビに行き場を失った(営業の仕事もない)タレントが新型コロナ禍を経て動画配信などに大量参入し、数年経って、ここでも「勝ち組」と「負け組」が出てきてしまって。
結局自分たちには動画配信は向かないな、とわかった勢力がネットを再び叩き始めてる、って感じなんだよな。 成功してりゃ文句言うわけないんだから。あと根っこには格差の拡大も感じる。芸ごと以外のこと、アルバイトや副業でも稼げないのだろう。
Qアノンはびこるアメリカと同じ道か? 辛いな。

ただし、ちょっと危ないことを言うとすぐSNSで拡散されて謝罪文提出、みたいな流れがあるから、本来「おちょくられるだけの権威を持っている人たち」をお笑いでいじれない、だから安きに流れてネットの人気者を叩く、という流れになっているのかも、とは思う。

私が見ているユーチューバーは、バンドマンや歌手、芸人などを目指していたのになれなかった「挫折組」が多い。いったん、表現することを挫折した人が、メディアの形態が変わることで脚光を浴びているということ。
これはネット出現以前から普通にあったことで、そういう現象をいちいちディスるのは単なるやっかみでしかない。

私は「芸人は常に反体制的であるべき」みたいなロマンチストではないつもりだが、ここ数年のお行儀のよいコンプラ順守ぶり(実際はどうか知らないが守らないとテレビにも出られないしネットでも配信できないし、ツイッターでBANされてしまうから)には、現実を見せつけられているようで悲しい気分にならざるを得ない。

ビートたけしは昔、「権力者の首がすげ変わろうがなんだろうが、その権力者の元で道化を演じるのが芸人」と言ったそうだが、本当にそうなんだな、としみじみする。
たけしの発言を熱心に追ってきたわけではないが、
「昔は『芸能人になりたい』とかって親に行っても『なにバカなこと言ってんだ』って頭引っぱたかれて終わりだった」
なんて言いつつも、自身が「芸能人」になったあたり、よほどの覚悟があったか、「自分なんかどうなってもいい、のたれ死にしてもいい」という「ある種のヤケクソ」を心の中で抱えているようで興味深い。

「『どん底』というけど、どん底の底が抜けて下からどん底を見上げたことがある」とさえ言っていましたからね。自分が売れたことを「宝くじに当たったんだ」とも言ってたし(80年代のマンザイブーム当時)。

あれ、おれなんでビートたけしの話をしているのかな。

ウギャーーーーーーーッ!!!!!!
ウギャーーーーーーーッ!!!!!!
げんまい茶!!!!!!!!!

おしまい

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