ユートピアより

テレワークをすることになったので作業環境を整えようと自宅を眺めているが、この環境をぶっ壊したくない駄々こねまくり私VS生活のためには仕方ないでしょさっさとやりなさい母親み強め私ファイッ!な状態になっている。

まず、我が家には机と椅子がない。折り畳みのテーブルがあるものの、ノートPCを置くだけで精一杯のサイズだ。テレビボードは推しのグッズに占拠され、テレビすら置けなくなった。この際、机セットでも買ってしまえばいいのだが、そういうところに金を使いたくない変なケチ精神が発動してしまい、苦肉の策としてタンスに段ボールを置いてその上にPCを置くセルフスタンディングデスクを作ることに。

デスクワークからほぼ1日立ち仕事となるため、次回の推しのライブで両足をつって動けなくなるなんてことはないはず。いい機会だから筋トレが趣味の推しを見習って筋骨隆々なファンを目ざしてみようかな。

作業スペースを確保し、PC内の環境も整ったところでウェブカメラのテストをしてみる。購入後一度も使っていなかったがしっかり映るのでホッとしていたが、ふと、この世のかっこいいを全て詰め込んだ人物の姿が自分の後ろ佇んでいることに気づく。先日推しのイベントで寒空の下3時間ほど並んで購入した特大ポスターである。

部屋の構造上、あらゆる日の光や湿気や埃などを避けた状態で推しを楽しめるポジショニングになっているため、この場所以外はどうしても貼れない。ばあちゃん家のクマの木彫りは玄関の靴箱の上に絶対あるくらいこの場所以外考えられない。

ならばタンスを動かそうと決意して動かしてみたが、これもやはり我が家の構造的に動かせる限界があり、腰痛持ちが重い家具をせっせと運びまくってみたが、どこに置いても推しが確実に映り込んでくる。もはやストーカーのようだが一切怖くないので推しは偉大だ。

部屋の荷物を実家に持って行けば済むのだろうが、このご時世で遠出をするのは難しいし、単なるわがままであることは重々承知しているので、不要不急の宅配サービスを使う気はない。

推しをは封印するか、推しをぶち晒すか。究極の選択である。

このポスターを貼ることのメリットは大きい。私比で愚行が減ったし、朝起きぬけに心が荒むこともあまりなくなったし、辛い時に振り返れば推しがいるし、帰宅すれば特大の推しがいる有意義な生活をしているからアンタの皮肉に付き合ってあげようと変な輩はスルーできることもある。

ウェブ会議の時だけ推しが映らないようにトイレに引きこもるか?推しを晒して何かネガティブな事を言われた場合、私のなかにある怒りが超合体してしまうのではないか、という不安もある。推しと言いながら推してない感があって自分の推しという概念がますますおかしくなっていく。

いやしかし、推しが映ってしまうとマズイことでもあるのだろうか。この世のかっこいいを詰め込んでいるんだぞ。裸体ならまだしもご丁寧に質の良い服を着こんでいるじゃないか。見た目が大変よろしいので「ゴッホの弟子が描いた絵のレプリカです」とか適当なこと言っておけば通用するのではないか。だいたい、自宅で作業してればペットを含む家族が映る人だってたくさんいるだろうし、そういう光景ってめちゃめちゃ和むじゃないか。子連れ会議がOKの職場で、なぜ推しのポスターがちらっと遠巻きに映り込むのを気にする必要があるのだろうか。

テレワーク初日は、そんなモヤモヤを抱えながら終了した。

この家は働くには今はマジでだいぶ不向きだなと痛感した。それは言いかえると、それくらい自分の部屋になったことも意味するはずだ。ここに引っ越してきた時は、せんべい布団と亡くなった親戚がテレビショッピングで買ったフライパンだけしかなかった。電球もないのでスマホの明りで風呂に入った。それも今じゃいつのどんな場所より自分のもので埋め尽くされている。小さい頃から自分だけの空間が欲しいと強く願っていたので、この部屋は私の夢そのものだ。小学生の作る秘密基地ってこんな感覚なんだろうか。だとしたら、小学生の頃の自分はこの部屋を見て泣いて喜ぶだろうな。よかったな、ミニにいつかよ。

そんな理想郷で仕事をすることは、今年最大の試練かもしれない。好きなことに夢中になりすぎるあまり必要なことから目を背けてしまう、私の最大の悪癖を克服せよと10年後の自分は言ってそうだな。


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