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013 「日本人が外資系企業に勤めること」について

ぼくは何度かここで書いたと思うが、プログラミングをライフワークと考えていて、自分が表現したいもの・ことをプログラミングで表現することを自分の仕事だと思っている。プログラミングが義務教育の科目になった、ということなのでこれから10年後ぐらいからは、プログラミングそのものが専門的な技術ではなくなって、「読み書きそろばん」のようなものになるのかも知れないが、とりあえずは今は、プログラムを書けることがぼくの武器になっていて、たとえば人間の手では描くことができないような絵をプログラミングで描くような作品を創っていたりする。
一方その傍ら、自分が表現したいもの・ことをプログラミングで表現する、ということだけでは喰っていけない、という事実もある。さいわい、プログラミングができることはそのままそれを職とすることもでき、平均よりかはいくらかいい収入も得ることができている。ただそこで作るものが自分が表現したいもの・ことだけではなく、ほとんどの場合は業務で使われるような退屈なものなのだろう。ぼくの場合は、映像に関わるようなソフトを作ることなので、そのような退屈そうな業務アプリよりかはいくらかは楽しい。

その「喰っていくための仕事」として、どこか企業に勤めるとしたら、日本の場合は、外資系企業に勤めることが一番効率がいい。まず、日本の企業と比べて収入が全然いい。日本企業の同業者の年収を聞くと、ぼくはその平均よりもかなりもらっている。また、お金だけではなくて、勤務時間についても、日本のブラック企業のような話はまずなくて、定時きっかりに家に帰るのは普通のことで、その日の仕事が終りさえすれば、それよりも先に退社することもよくある。出勤したり、客先に出向かなければならない日以外は家で仕事をすることも許されている。
以上のことから、自分が本当にやりたいことがあって、それを続けるために生活の糧を得る必要がある、ということであれば、外資系企業に勤めることが効率がいい。

自分のライフワークを続けるために、アルバイトでなんとか食いつなぐ、という生き方も確かにすばらしい。心から尊敬する。でも、その生き方を工夫する、ということをしてもいいのに、とも思う。

さて、以上のように書くと、外資系企業に勤めることが本当に天国で、夢のような生活を送ることができる、と思われることだろう。もしそうだとしたら、なぜすべての人々が外資系企業に勤めていないのだろう?
統計をとったわけでも何でもないので、以下はぼくの勝手な空想にすぎない、ということを断っておきます。
まず最初に考えられることは、「英語ができないから」ということだろう。英語に自信がない人は日本にかなりいる。例えば街中で外国人に”Do you speak English?”と聞かれると、ほとんどの人は”No”と答えるか、人差し指と親指を近づけるようなジェスチャーをしながら”A little”などと答える人がほとんどじゃないだろうか?ここまで謙虚(悪く言えば自信がない)のは日本人ぐらいだ。ぼくは海外で「私は日本語が話せます」という人が「こんにちは」だとか「私の名前は◯◯です」ぐらいしか言えない、ということによく出くわす。挨拶ができて自分の名前が言えたらその言葉が話せる、という自信(悪く言えばずうずうしさ)。
とにかく、日本人は英語に苦手意識があるために、外資系企業ではやっていけない、と思う人が多いようだ。

外資系企業に勤めることが天国のようだとわかっているのにすべての人々が外資系企業に勤めるわけでもない理由として次に考えられるのは、「リスク」だ。これは大きい。ある意味では、そこで得られる高収入は、このリスクの見返りである、とも言えるだろう。
本当は資本主義国家であるはずの日本は、労働については社会主義的で、労働者は国に守られている。「一個人が企業に勤めること」というのを”そもそも”で考えてみれば、個人事業主が企業に自分の時間と労働力を「売っている」ということにすぎない。なので、ここでは企業は従業員にとっては「お客様」であるはずだ。この考え方に立てば、「企業は労働者から搾取している」という言葉もなんだか変だし、労働条件が合わないのであれば「イヤな客には売らなければいい」という言い方もできるだろう。企業側からしても、自分が買いたくないものや、買ったけど満足できなかったものは買わなければいい、ということができるはずだ。
それでも、日本に進出している外資系企業は、日本で従業員を雇う場合には日本の労働基準法にちゃんと従っているので、すぐにクビ、などのようなことはないが、基本的にはこういう考え方に基づいている。なので、退職金がもらえる外資系企業は多くないだろうし、成績によって収入が上下する、ということも当たり前に起こる。
またもうひとつのリスクとして、業績によってはその企業が「日本撤退」ということも起こりうる、ということがある。自分が勤めている外資系企業が日本を撤退する、ということは、自分が勤めている会社が倒産することに等しい。
以上のようなリスクの見返りとして高い収入が得られる、ということがある。

ここまでのぼくの話を聞いて、「たとえそのリスクがあったとしても、一度は外資系企業に勤めて自分を試してみたい」とお考えの人にひとこと。日本人が外資系企業に勤めるときに一番大切なこと。
それは、「日本語が得意であること」に尽きる。書き間違えではない。「英語」ではなく、「日本語」だ。

多くの日本人が外資系企業に勤めることをためらう理由の1つ目としてぼくが勝手に想像で書いたものは「英語ができないから」というものだった。確かに、外資系企業に勤めるには英語は必須だ。実際、外資系企業に努めている日本人の中には、ネイティヴ並に英語が話せる人もごろごろといる。さらには本来はその企業で必要とされているはずの技術力を持ち合わせているわけでもないのに、その英語力だけでそれなりの地位を築くことができている日本人もいっぱいいる。(そういう人は外資系あるあるで、”英語屋”と揶揄されていたりする)
だけれども、そういう人の中には、英語さえできれば日本語は必要ない、という勘違いをして、日本語を軽視している人がかなりいる。
ここで考えてみて欲しい。海外からわざわざ日本に現地法人を作ってまでして日本でビジネスをしよう、と考えている企業の気持ち。つまり、日本のお客さんに自社製品をばんばん売って欲しい、というのが本音のはずで、だとすると、日本のお客さんとちゃんとコミュニケーションができて、ビジネスを成功に導くことができる、という人材が一番求められているはずだ。
なので、正しい日本語をちゃんと使うことができて、日本独特の商習慣や、ビジネスの進め方が分かっている人こそが外資系企業で求められている人材なのだ。
もしそのようなスキルが必要なく、英語さえできればいい、ということであるなら、わざわざ現地人(=日本人)を現地採用する必要はなく、必要なときに本国から人材を送り込むことで済むはずだ。
実際、ぼくが勤めている会社にはシンガポールオフィスがあるが、そこにはシンガポール人はほとんどいなくて(ひとりもいないかも?)、本国から送り込まれたフランス人が働いている。シンガポールは英語が通じるので、現地語を話す人を現地採用する必要がないからだ。だが、日本ではそうはいかない。日本語が話せない人は、客先に行っても相手にされない。
だからこそ、日本語がちゃんと話せる人が外資系企業で重宝される、というわけである。それが本国に対して最大のウリになる。
なので、これから外資系企業にチャレンジしてみようかな、と思っているあなたへ。英語(あるいはその企業にとっての母国語)を話せることは必須だけれど、同じぐらい、あるいはそれ以上に大切なのは、正しい日本語を話すことができることだ、ということをしっかりと覚えておいてください。


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