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【エッセイ】よしよししてあげるね


数秒後に青に変わる信号
わかっていても動けないわたし
わかっているから渡っていくひとたち

先越されても先行かれても構わない?
そんなわけない いちばんがよかった

ズルしないといちばんになれない?
ズルできる人のことを"要領がいい"と言うらしい

そして私の持つこの正しさを、
悲しみと呼ぶらしい


ただ訳もなく死にたいと思うようになったのはいつからだろう。それはずっと私の中にいた気がするけれど、外に出ていくことはなかった。
心のうちに留めておけば、そのうちたのしいことに消してもらえた。

"たのしいこと"が分からなくなったのが、1ヶ月ちょっと前のおはなし。
私にはいくつかの"アンビリカルたのしいケーブル"(と名付けている)があるけれど、最後の手段として登場するのがキヨだ。

キヨはゲーム実況者。
はじめて彼のマリオカート実況を見た日から、ずっと彼が好きだ。
彼の実況を見て、元気が出ない時がなかった。
彼はとてもうるさい。とても声がデカい。下ネタをすぐ言う。よく分からんネタを当然のようにぶっ込んでくるし、暴言もすごい。常に偉そうにこちらに語りかけてくる。

でも、彼はいつも笑顔でいてくれるのだ。
生きててたのしそうに振る舞って見せてくれるのだ。ずっと変わらず、笑ってくれる。たのしそうでいてくれる。
そこから感じる彼の強さが、私にはいつも眩しくて、「キヨ、ま〜だ豊田議員いじってるよ」「そろそろ任天堂に怒られろ」って思わせてくれる。
そう思っていいと、思わせてくれる。
本人は「はあ?」と言うだろうが、私はキヨのことをずっと隣にいてくれてる友人だと思っている節がある。だってそうだ、キヨの笑い声が聞きたい時、すぐに彼のプレイするゲームを見ながら一緒に一喜一憂できるのだ。この間10秒であるからして、彼はやっぱりフッ軽な友人である。

そんなキヨに、私は幾度となく救われてきた。
学校で辛い時、姉と喧嘩した時、眠れない夜。キヨの動画を再生して、元気になって、毎日を一歩ずつ前進してこれた。

でも、新入社員として仕事を始めてすぐの4月中旬。
突然「死にたい」と母に言ってしまった。
言ったというより、こぼれ落ちてしまったというか、とにかく意図があって声に出したのではなかった。
母はとても悲しそうな顔をして、でもすぐに私を責めた。「どうしてそんなこというの?」
辛そうだった。私も、両親や姉にそう言われたら辛い。嫌だ。苦しい。母の気持ちは分かっていた。なのに、
「死にたいと思うから口に出しただけだよ!」
どうして喧嘩腰に言ってしまったのだろう。
母は涙を流していた。私が心の底からそう思うことが、母にとってどれだけのことか、想像はもちろんできていた。
なのに、
なのに止まらなかった。
私はそれから、「死にたい」と思った時、ちょっとずつそれを口に出すようになっていった。
ほんとうは毎秒死にたかった、文字通り毎秒、ずっと。
目覚めた時がいちばん辛かった。ずっと眠っていたかった。思考を遮断していた方が楽で、眠れる隙があったら眠ったりした。

それから、心にいろんなものが溜まっていった。

今の会社は労働環境が悪すぎるから辞めよう、でも辞めた後どうすればいいの?またあの嘘つきゲームみたいな就職活動をするの?それに騙されてこんな状況に陥ってるのに(とか言ってちゃんと企業研究、業務研究をしなかった私が全部全部全部悪いけど)社会に対して自分を取り繕って、いいこですよ、とってくださいってまた媚び売れる?大丈夫?てかそこまでして生きていたいの?就職は一旦諦めるとしても、バイトは?お金は?フリーター?そんな状態で両親に顔向けできる?私は2等賞(本名が入る)なんだよ?良い家庭の良い環境に生まれた幸運な子どもなんだよ?そんなんで良い訳ないでしょ、正社員でちゃんと働かないといけないでしょ、いつまでも夢見ているんじゃないよ、私は死ねないんだよ、死にたくても死にたくてもどうせ死ねないんだよ!分かってるよね!じゃあどうするの!はやく就職先探さなきゃ、働いているの苦しくても、たのしいよって言わないと!分かってるよね!!今年23歳になるんだよ!!!分かってるよね!!!!


だれにもなにもいわれてないのに、
頭の中はずっとこんなふうにうるさかった。
今も少しだけ、まだ、うるさい。

退職を決めた後、両親も姉も上司も同僚も、誰も私を責めたりしなかった。むしろそのほうがいい、と賛同していくれていた。なのに
ずっとずっと、私は私を責め続けていた。

退職日の1ヶ月前に申告、2週間前に退職届を提出だったので、5月末まで働く予定でスケジュールが組まれていった。
私が入社して1ヶ月で辞める恩知らずだとわかっているのに、先輩たちも上司もなんにも態度を変えずに一緒に働いてくれた。分からないことは教えてくれた。
全然苦しくなかった、はずだった。

GW、怒涛の勤務を終えて、ちまちま働き続けていたある日の退勤後。
疲れていたけれど次の日も勤務だったので、元気を分けてもらおうとキヨの動画を遡った。
見つけたのは、ちょっと前に上がっていた最俺(最終兵器俺達)の貴重な実写動画。彼らの実写動画が大好きなので、サムネを見てあ〜これ見てなかったやつ、実写だったんだ〜!!わ〜い!と思っていた。
ベッドに横たわり、いつも動画を見る姿勢でうきうきしながら見る。いつも通りのはずだった。

あれ、なんか、何言ってるか、分かんないかも

彼らはいつも通りなのに、私の耳には全然、彼らの声が入ってこなかった。厳密には声は聞こえている、内容も理解できる。でもなんか、何を言っているのか、なぜ笑っているのか、確実に面白いんだけれど、あれ?なんだろう、この感覚はなに?というように頭が混乱していた。

しばらくして、私はスマホを閉じた。
そのあと見続けたが、やっぱり全然楽しめなかった。彼らはいつも通り、変わらず楽しく笑ってくれていた。笑顔でいてくれていた。
なのに、私の心はなんにも反応できなくなっていた。
その時にやっと、改めてではありつつも、本当の意味で心から、

「あ、私の心はいま、ちょっとおかしいんだな。変になってしまったんだな。これが苦しいってことだ、辛いってこと、悲しいってことだ。そうか、悲しい。辛い。悲しいんだ。」

と思うことができた。
その日から、ふとした瞬間に無意識の涙がぽたぽた落ちるようになったけれど、キヨが気づかせてくれなかったらおかしいことにも気がつけなかったのかもしれないなぁと思う。

そして、5月末を目指して私は働いた。次のことも考えて転職サイトを見まくっていた。家族を言葉で傷つけたり、傷つけられて逃避行してはTwitterで友人たちに励ましてもらったりしていた。

日々は止まることなく続く。
せめて5月末まで、与えられた仕事を、その責務を全うしなければ。強い気持ちでやれることを全部やっていた。

馬鹿だ。
自分がおかしいと気づいているのに、もう少し、もう少し、と頑張り続けていた。頑張るな、もう頑張らなくていいよ(平日の昼間にこれを書いてる自分より)
仕事場では、先輩たちに恩を感じていたし、尊敬もしていて、その優しさに沢山救われたからこそ適当な仕事はできないと思っていた。洗濯物、お掃除、お客様との対話とか次の日の準備とか、全部全部を効率よく完璧にやろうと努めていた。

そうしたら、
その日は休日明けの勤務だった。
前の日には大好きな友人と大好きなシルバニアの世界に行って、キャンドルやパンを作ったり、とても幸せでたのしい時間を過ごしていたのに、
朝からとにかく体が怠く、気分が底に張り付いていた。ずーん、とかじゃない、もはや静寂の中にいた。ただ、自分の心の居る場所が暗いところだということだけは自覚できていた。
朝食を食べ、前日から準備していた洋服に着替え化粧をして、電車が出発する13分前きっかりに家を出た。
歩いている時も駅に着いた時もずっと静寂だった。その日はなんとなく、イヤフォンで音楽を聴くことができなかった。
すると、電車に乗った途端に、「死にたい!!」というこれまでにないほどの強い感情が浮かんできた。浮かんだきた、というよりは、背後から大きなそれが影になって体ごと包もうとしているような、襲いかかってくるような感覚だった。

そんな意識を抱えたまま乗り換えをするために動く足。仕事場に向かい続ける足は止まろうとしない。
ある程度周りに人がいた。
目の前の椅子には4人組の小学生らしきおんなのこたちがちよちよと座っていて、その子たちを可愛いなぁと思っているのに、目から涙がこぼれ落ちて止まらなかった。
女児に不審な目で見られるのが嫌だったので、バレないように(バレているけど)涙を拭いつつ電車を降りて職場へ向かう。
ずっとずっとずっと、「死にたい!!」「死ね!!」「死にたい!!」が私に着いてきていた。

仕事に入る前も、苦しい旨のツイートを書いては下書きに入れる、を繰り返しながら、なんとか平静を装って打刻を打ち勤務を開始する。
お掃除を完璧にする。私が来る前、先輩が掃除したって書いてあったけど、それは絶対に嘘だった。ゴミが溜まっていたし、ころころローラーでとれるものの量が明らかに多かった。
洗濯機にも、衣類が死ぬほど溜まっていた。こんなに溜まっているのを見たことがなかった。
……え〜と、洗濯物を倍速で回しても終わるのに20分かかるな…その間に次の準備をしなきゃ、「死のう」タオルは大丈夫かな、あ今日の交通費の申請忘れないように「死にたいよね」リストをチェックしてチラシを折る「死んだ方が楽」次誰が来るか見よう「もういいじゃん全部やめて死のうよ」在庫も見ておこう「死ね」あと他にできることはなにか「死にたい!!!」
「死にたい!!!」
「死にたい!!!」
「死にたい!!!」

怖。
怖かった。思考の隙間にずっと死にたいがいる。
これまで、働いているときは働くことに集中していて、こんなふうに思うことはなかった。
とても怖い。本当に死んでしまうかもしれない、帰れるのかな、行ってきますって言って来たのに、ただいまって言えないかも。怖い、それはやだな、せめてママの声が聞きたいな、誰かに言わなきゃ、いまとても死にたいこと、体の中から出さないと、体全部が「死にたい」になっちゃう

私は今やらなきゃいけない仕事を全部終わらせて、休憩室で休憩している先輩にバレないようにこっそりスマホを持ち出して母に電話をした。
「あのね、死にたいの」
声に出すと、涙が溢れて、震えが止まらなかった、これが怖いってことだと、恐怖なんだと改めて感じた。
母は、今すぐ帰ってきなさい、具合悪いって先輩に言いなさい、と言った。私は寝ている先輩を起こせないと何度も何度も言ったが、無理にでも起こして帰らせてもらいなさい、大丈夫だから、迎えに行くから、の一点張りだった。
そう言われると思わず、その時点でも私は仕事を続行できると信じて疑わなかったため、半ば投げやりな気持ちで先輩を起こし事情を説明した。
先輩は心配してくれ、とりあえず休んで無理そうだったら店長に連絡しよう、と、彼女が寝ていた場所に私を寝かせてくれた。
そのあと、仲良しのアルバイトのお姉さんが出勤してすぐに私を心配してくれたため、手を握ってもらいながら話をしたら早く帰れと諭された。
店長に連絡し、許しを得たタイミングで母が仕事場に到着していた。日曜だったので父も来ていた。
22歳になってまで母親に迎えに来てもらうなんて、小学生じゃあるまいし…とても恥ずかしく情けなく、自分を責めながら仕事場をあとにし、次の日にかかりつけ医のところで安定剤みたいなものをもらった。
診察料も薬のお金も母に払ってもらっている現状にまた情けなさを感じ、じぶんはとてもみじめだなぁと感じながら歩いていたら、コンクリートの地面がぐわんぐわんと動いて見えた。こういうふうに見えるのは2回目だったけど、やはり怖かった。母が肩を抱いて歩いてくれた。

そんな状態、ということで、
友人ふたりの強力な手助けと父の助言により、私は5月末までの残り6日の勤務を全て欠勤することにした。
煉獄さんみたいな責任感のある人間になりたかったな……と思いつつ、強烈に信頼を寄せる友人たちに無断でいいから欠勤しろと言われたり、父にももう行くのやめときな、と言われたら、従うしかないと思った。と同時に、今の私はたぶん、私にとっていちばんいい判断をする能力を失っているんだと察することができた。
たしかに私も、煉獄さんは煉獄さんだから好きなのであって、彼が責務を全うする責任感のある人間だから好きな訳じゃないなあなんて思ったりする。(彼には生きてほしかったし)(ネタバレ注意)

ということで、いま、私は地元の大きな公園の青空の下で!これを書いてる!

この3日、朝6時半に起きて23時くらいには寝ている。家事を手伝いながら自分の好きな音楽や、もちろんキヨの動画も見ている。
まだ、うるさい心の声を消すことはぜんぜんできていないけれど、この3日間で気づいたことをひとつ挙げるとすれば、
私は自分をあんまりよしよししてあげてないってこと。
例えば、「退職するのに新しい仕事教えてくださいって言えて偉いし、それはすごいことだよ」とかそういうの。自分の気持ちに寄り添ってあげられる自分が、私の中にはいなかった。
「死にたいと思うんだね、そかそか辛いね苦しいよね」「お散歩、空が広いね、気持ちいね」とか、そういう自分。
よしよし。よしよし。
自分に厳しい、いや、別の人から見たら全然あまちゃんだとは思うけれど、
まあ私が辛いと思った時に、「こんなんで辛いなんて言ってたら誰にも認められない!評価されない!」とぽかぽか殴ってくる自分がめちゃめちゃでかいからこそ、「よしよし、辛いもんは辛いよね〜よく頑張ってるよ〜」と言ってくれる自分いなければ、そりゃ追い詰められるよなぁって気づいた。自分で自分をよしよししてあげることを、あまえやわがままと呼ぶんだとずっと思っていたけど、それは間違いだった。
私の中には、まだ私が気づいていないことがいっぱいありそうだ。

こうやって、少しずつでいいから、自分の気持ちに敏感だったり鈍感だったりする何人もの自分と手を繋いで、ゆっくりゆっくり歩きながら「うちら最高だよね〜」と全部を受け入れ、認めてあげられるようになりたい。それが今の私の目標。
それが、ほんとの意味で自分を愛してあげるってことだと思う。

今日はとても調子が良くって、いい気分転換ができたからこういう気持ちでいられるけれど、きっとまた憂鬱や苦しさ、辛さ、ぽかぽか殴ってくる自分が前に出てくることも全然あると思う。次の瞬間そうなるかもしれない。
だけど、
なぜか今は、
風に吹かれてシャボン玉がふわあと舞う様子を喜んできゃいきゃいしている子どもを見ながらなんとなく、なんとなく死にたくないなと思えている。
今感じているこの気持ちの向かう先が見たい気がしている。
だから、だいじょぶではないけど、多分だいじょぶ。この気持ちを抱くことができる自分ともうちょっと一緒にいたいと思う。
あと、キヨがプレイするポピープレイタイムの続編が見たい。開発者さん、頑張って!

私はいま、自分で自分に赤信号を出すことができる。人々が渡る横断歩道はみんな一緒だと思っていたけど、そうじゃなかった。
それぞれのタイミングで、赤になったり青になったり、チカチカしたりしながら、進んだり止まったりするもの。
だから、人の歩幅とか、人生の進捗とかは気にしなくていい。
私は私の信号を、もう少し先で青にして、
自分の背中を押すことができる。

その日のために、長く歩けそうな靴を用意して磨いたり、自分たちと相談しながら行く道を決めよう。オープンワールドのゲームをやる時みたいに、何から手をつけようかわくわくしながら、今は少しだけ休もう。

これまでよく頑張ったよ、私が

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