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子育ては楽しむもの?頑張るもの?

お月見

昨日(9月21日)は、お月見の日だそうです。私の5歳の息子が言っていました。保育園では月や団子を折り紙でつくったそうです。何日か前から息子がお月見のことを言っていたので、息子はお月見に興味があったのでしょう。きっと、団子を食べたいだけだと思いますが笑。

思い返してみれば、私はお月見などしたことがありません。月を見て「きれいだなー」ってことは多々ありますが、9月に月を見て団子を食べるという風習をしたことがありませんでした。

息子に言われたこともあり、宝の十年を過ごそうと決めたこともあり、帰りに団子を買って帰ることにしました。もちろん息子は大喜び。2歳の息子も「だんごぉー」と言って嬉しそうです。

その日はあいにくの雨。実際の月は見えなかったので、折り紙で月を作って壁にはりました。そして、折り紙月を見ながら団子を食べました笑。おいしいと言っていたので私も満足です。まあ息子が満足そうなのでいいとします。

まずは教えて、やってみる

私は子どもとの時間を多くとってきました。勤務時間開始ぎりぎりまで一緒にいて、勤務時間終了してその日の仕事が終わったらなるべく早めに保育園に迎えに行きます。休みの日も自分の趣味はなくし、子どもとの時間を優先させてきました。

しかし、それまでの私は子どもと一緒にいただけでした。子どもが「何かしたい」と言ったらそれに付き合う。こちらからはあまり提案したり誘ったり教えたりしませんでした。よく言えば「子どもの自主性に任せる」でした。しかし今回それでは不十分かもと感じさせられました。

今回のお月見に関しては、保育園でお月見という風習を知り、子どもが興味をもちました。そして、じゃあやってみようと私が提案し、実際にやりました。

「保育園がお月見という風習を教えなかったら」

子どもはもちろんお月見に興味をもちません。そして実際にやってみなければ、楽しいもつまらないもわかりません。考えてみると当然なのですが、意外と意識できていなかったなというのが感想です。

これを他に置き換えて考えてみると

「ブランコという遊具を教え、やってみなければ」
「サッカーという遊びを教え、やってみなければ」
「勉強という成長方法を教え、やってみなければ」です。

つまり、まずは存在を教え、一度やってみることから始まるということです。初めから自主性も興味もあるわけないです。だから「教育」という言葉には「教」の字が使われているのだなと思いました。

子どもを見てる?そばにいる?子どもと遊ぶ?

休日に公園に行くと、いろんな子が遊んでいます。親御さんと一緒に来ている子どもも多いです。公園にいる親御さんには、大きく2パターンの方がいらっしゃるなというイメージです。

一つ目のパターンは、子どもと一緒に遊ぶです。お子さんと親御さんで会話をしながら、遊んでいます。遊具一つでもいろいろな遊びを考え、親も子も楽しそうです。

二つ目のパターンは、子どものそばにいるだけです。そばにいて安全を確保するためにいるという感じです。子どもが何かしたいとったらそれをやる。一緒に遊ぶというより、見守るという表現がよいです。安全に子どもを遊ばせるために、親御さんの表情は真顔の方が多いです。

二つのパターンはどちらも公園に子どもを連れて行っているという点では同じです。しかし、子どもの興味の広がり具合は明らかに一つ目のパターンの方が大きいです。くしくも私は二つ目のパターンの方が多かったです。私の場合は、子どものために頑張っているという意識で、楽しんでいるという思いはなかったです。

まとめ

子どもが生き生きと毎日を過ごす。ここに焦点をあてるなら、好奇心は欠かせません。子どもの好奇心を育てるには、子どもにまず、存在を教えそして一緒にやってみる。これが必要なのではないでしょうか。私は昨日それを感じました。そして実践します。子どもの生き生きとした姿を目指して。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。



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