効率を求めた先に
日常生活の効率
連日オリンピックの話題で盛り上がっています。昨日は、卓球の女子団体が銀メダルをとりました。おめでとうございます。
しかし、実は私はこの話をするのにあたって、卓球の試合を見ていません。ハイライトも見ていません。スマートフォンに出てきたニュースで1分しか見ていません。実際の試合はどれくらい行われていたかわかりませんが、結果を知るという目的であれば、効率はすごくいいはずです。
効率を求めた先に
これでよいのでしょうか。先日ある先生と話をしていた時に、「スポーツの見方が今後は大切だ」とおっしゃっていました。その先生曰く、スポーツは、「自分がする」「する人をサポートする」「観る」のように多様な関わり方ができる。「自分がする」と「する人をサポートする」は、ごく一部の人に限られる。運動が苦手な子はスポーツを「観る」が大切だ!です。たしかにと思いました。その先生は運動の苦手な子のために、本気で頑張っています。素敵な先生です。
話を戻します。本来スポーツは結果を知ることが目的ではありません。選手の背景や努力を知って、スポーツの知識をもって観ることで、何十倍にも楽しさが膨れ上がるし、感動もひとしおです。
がしかし、現実問題、日常は仕事やら育児、家事などで非常にあわただしいです。私自身、仕事にも家庭にも効率をよく動きたい人です。効率を求めた先に、ニュースは自分のタイミングでスマホで見るになりました。結果オリンピックもリアルタイムで見ることはかなり少なくなりました。これが効率の求めるものでしたっけ?
子どもに求めるのは点数?
テクノロジーの進歩によって、ずいぶん効率化が進みました。私が教師を始めた10年前と今ですら違います。効率化は目的が正しければ非常に大切な考え方です。しかし、目的を見誤ると全然違う方向に行ってしまいます。
ここで考えてほしいのですが、「家庭教育の目的はなんですか?」です。テストの点数をあげる?通知表の成績をあげる?いい学校に入る?
ちなみに、学校教育は30年ほど前まで、子どもたちの「できる」「わかる」が目的でした。だから、一斉授業の教え込みが効率のよい方法でした。しかし今は違います。今の教育の目標を端的に言うと、「生きる力をつける」です。もちろん生きる力がなんぞやという話は、多岐にわたり、深すぎるので割愛しますが、間違っても目的は「成績をあげる」ではないです。だから、授業の仕方や評価の観点も変わりました。
さて、改めてお伺いします。
家庭教育の目的はなんですか?
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