効率を求める人の失敗。
「効率」追求する情報商材が多くあり、それを求める人も多くいます。もちろん僕もそうだったので分かるという話です。ただし、僕の場合は情報商材ではなく、自己啓発本に分類されるもので経験したことです。
効率を求める前に「量」について考える
色々な分野で低年齢化が加速していて、若くして成功する人が多くなっています。これは本当に喜ばしいことですが、間違った影響を受けている人も多く出てきているので注意が必要です。若くして成功している人も最初から要領良く物事を進めてきたのではなく、徐々に上手くいくようになったと思いますし、多少の挫折は経験していると思います。要するに苦労しているということです。
最近、効率やノウハウを求めている人に感じることは、ゲームでいうところの「ハメ技」「裏技」「最短ルート」を求める気持ちが強すぎて、この情報商材を購入すれば明日から○○という考えが見え隠れしています。
今後、どんな世の中になっても「成果=才能×努力量」という考え方、公式が無くなることはないと思います。
量とは単純な時間や経験の積み重ねではない
効率に対する「量」の多い、少ないは単純に時間や経験の積み重ねではないと考えています。なぜそう考えるかというと、僕は「効率」は量の中に組み込まれているものだと考えているからです。非常に言語化するのが難しいことで、上手く伝わるかどうか自信がありませんが、先述の公式のように、必要な量は「努力量」です。何に必要かというと自分が求めている成果に必要なことです。
成果=才能×努力量
努力量=効率×ポジティブに関わった量
言語化するとこのようなイメージです。ポジティブという部分も重要な要素の1つで、ネガティブに関わった量は「量」と考えてはいけないと思います。そして、「効率」をあげることで「ポジティブに関わった量」が少なくても「努力量」は担保されます。
効率を求める人の多くは「ポジティブに関わった量」を最初から否定し、減らそうと考えるところからスタートしているように思います。つまり、偽りの量と、付け焼き刃の効率で「努力量」を確保しようとしていると僕は感じています。
ポジティブであることが大事
嫌なことなので効率よく処理をして、嫌なことに使う時間を少なくしたい気持ちはとても分かります。けれどそれは効率よく処理しているのではなく、適当に次に回していることが多いと思います。経営者となり、従業員の仕事をみていると分かるようになってきました。
やはり何事もポジティブに取り組むことが大事です。それに多くの場合、自分が嫌なことでも他人は楽しく取り組むことも多いです。やりたくないことは他人に任せるということもある意味では「効率」だと思います。
最初からネガティブに捉えていると、他人にその仕事を回すことも「なんか悪い気がする」という発想になってしまうと思います。ポジティブに捉えていると「自分は苦手だから、得意な人に任せよう」という考えになりやすいです。この違いはとても大事なことだと思います。
最後に
効率を求める前に量を経験しないと効率は分からないという考え方があります。僕はそれに共感します。しかし、単純に量で表現するのは少し違うかなと思います。嫌なことをいくら時間をかけ、経験しても、効率には辿り着かない。どう逃げるか?発想のスタートがここになってしまうからです。
量を経験せずに効率を求める人は、「努力量=効率×ポジティブに関わった量」の量が「1」に近づくため、いくら効率の数値を上げても「努力量」「成果」に結びつかない。
今、労力をかけている「ポジティブに関わった量」を減らし、効率をあげることで「努力量」「成果」につなげることが効率の側からアプローチすることは間違っていると僕は考えています。
いただいたサポートだけが僕のお小遣いです。ジリ貧(死語)