お節介について再考してみた
先日、お節介について書いた。
そのときに、何かを提示して、そこで断られたら、それ以上踏み込むことは避けることが美ではないかと思っていた。
だけど、それは本当にそうなのだろうか?と問い直してみた。
『ほうぼく』の活動はどう捉えるか
鮭の事例を書いていたと思う。
果たして、ほんとうにそうなのか。
北九州市で生活困窮者や社会からの孤立状態の人たちの再建活動に関わっている『NPO法人ほうぼく』のスタッフは何度もホームレスの方へ声をかけ続ける。
相手に一度提示して、断られてもまた声をかける。
その結果、最後まで断る人もいるけど、そこから何度目かで自立していく人もいるという。
今は訪問も行って、子どもたちに勉強を教えることもある。親が一度不要であると断っても、また訪れる。
そして、何度目かの訪問で許してもらって入ると中はゴミ屋敷だったということもあるそうだ。
助けてくださいという言葉が失われている
代表の奥田さんの言葉で印象に残っているのは、助けてくださいという言葉が奪われてしまっているという話。
大人が言えなくなってしまったから、子どもも言えなくて、不登校や自殺につながってしまうこともあるのかもしれない。
だからこそ、一般的なお節介はいけないという言葉を真面目に守ることがいい事だとは、一丸に言えないなと思うようになった。
言葉にとらわれると動けなくなってしまう。
だからこそ、問い続けること。対話することをやめたくない。
皆さんは、お節介についてどのようにとらえているのだろうか。
また誰かと、どこかで話してみたい。
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