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問題は自分で解きたい欲求と解かれて欲しい欲求の違い

昨日、職場で子どもたちと数独にチャレンジした。

ぼくは、今更だけど初めてチャレンジしたのだけど、これがまた面白かったのだ。

数独っていうのをぼくのように出会わなかった方もいらっしゃるかもしれないので、Wikipedia先輩の言葉を引用させていただきますね。

3×3のブロックに区切られた 9×9の正方形の枠内に1〜9までの数字を入れるペンシルパズルの一つである。「ナンバープレース」とも呼ばれる。

なかなかパッとは解けないのだけれど、解ったときの感動といったらもう。

ついつい、自分やるじゃん!と褒めたくなる。

ついには家に帰ってアプリをインストール。

2時間ほど、没頭してチャレンジすると少しずつ、コツを掴めていく。

自分で解きたいのだ

パートナーに自慢すると、「私は数独の天才」

と、豪語していたので、やってもらうと本当に解くスピードが早くて驚愕した。

そして、自分が解いていると「そこ9だよ」と教えられてしまうから、「求めていないよ〜」と正解を知らされるのを拒んだ。

なるほど、問題は誰かから解決してもらうっていのは、こんな気持ちなのかとすごく腑に落ちた。

数独に限らずに、この感覚は日常にもあって自分でなんとかしたいという欲求があるのだなと気づいた。

目的か手段か

これって仕事のなかでもあるような気がする。

とにかくこの問題を自分で解決したいという瞬間と、自分じゃなくていいから解決されて欲しいと刹那に願う出来事。

同じ問題だったとしても、自分のその時の心の持ちようで解釈が変わる。

もしも数独のスピードを競う大会で、結果次第ではペナルティが課されるか報酬がもらえる。
そして、誰かに助けを求めてもオッケーのようなルールであれば、ぼくはパートナーを召喚するだろう。

それは、課題を解くことが目的なのか手段なのかで変わるのかもしれないなと気づく。

そして最初は「数独、楽しい」ぐらいのブログだったのが、書くことで、新しい気づきが生まれて書き足していく感覚もなんだか面白い体験だった。

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