ただ傍にいるだけで
3日前のお昼過ぎ、母から「祖母の相当低いから来れるなら病院に」と連絡があった。
仕事終わりに向かい、面会するも一目で体調がかなり悪いのがわかる。
手を握って声をかけても、「苦しい。お水を変えてください」と何度も繰り返すばかりで、こちら側を認識できていないようだった。
ただ、傍にいるだけで、苦しみを感じている祖母に何もできない自分がもどかしい。
もしかしたら、明日には会えなくなるのかもしれないとすら思った。
夜はあまり眠れなかった。
それでも傍にいるということ
翌日も仕事終わりにまたお見舞いに向かった。
いまできることは手を握り声をかけて、ただ傍にいることだけだ。
うれしいことに、血圧が少し上がって、こちら側の声にも反応があった。
昨日は、ぼくのこともしっかりと認識して名前も呼んでくれたのだ。
どうやら薬を代えたことで、血圧が安定したとのこと。
また病院のスタッフの方々が床ずれの起きないように定期的にケアしてくださっていることも聞いた。ありがたい。
もう認識してもらえないかもしれないと思っていたから安堵した。
ひとり部屋で何もできず、苦しみがあるというのは、かなりしんどいはずだ。
傍にしかいれないとしても、傍にいるということ。
意味があるかはわからないけれど、そうしたいと思う。
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