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【あとがき】Written in the stars

この記事は前回の「Written in the stars」のあとがきです。

また、こちらは、第6回文芸課題"ぶんげぇむ"参加の記事です。

◆お題:「電信柱」「あだ名」「運命」「未来」「カラフル」
◆執筆ルール:
 ・お題に沿った作品を作ってください。
 ・小説/エッセイ/詩 などの形式・ジャンルは問いません。
 ・5つのキーワードを作品に登場させてください。ただし、文字そのものを登場させる必要はありません。
◆文字数:下限なし〜10,000文字(原稿用紙1〜25枚分)

久しぶりの8,000字

今回の文字数上限は10,000字。何文字書こうか迷ったが、迷わず長い文章を書こうと思った。

結果的に最大文字数に到達しなかったのは、自分で読んでいて「長いな」と思ったから。スマホでスクロールしている時に、8,000字の時点でかなり長いと感じた。

読んでもらうのに長いと申し訳ないという気持ちもあったけど、どちらかというと、起承転結が詰まった早い展開の文章の方が、書いている一文字一文字に集中してもらえると思った。書き出しが気に入っているのに、余計なストーリーがあると後半で忘れられちゃうかなとも思ったし、そもそも本で読む小説はもっと長いけど、noteで多くの人に見てもらうには、読みやすい文章量の方がいいと思った。

参加している「ふみのわ」では、それぞれがテーマに沿った文章を持ち寄って、先生に読んでもらうので、起承転結が簡潔な文章の方が、この場合はインパクトがあるような気がした。

8,000字なら、書き出しの文章も印象付けながら、中盤のストーリーで伏線を回収し、終盤で物語の結論を書くという流れ全てを、ギリギリ印象付けられるような気がした。

10,000字制限の文芸賞に参加したことがあったけど、書き慣れていない頃は途中で何を書いてか忘れるような箇所もあった。今回も、ストーリーに矛盾がないかを見落とさないように気を付けた。

10,000を書くには、読み終えた後に「あのシーン良かったね」と、映画の帰り道のような会話が出るくらいのインパクトが物語に必要。

「読ませる」ことができない

「読ませる」というのは、物語を読んだ後に、読者に物語の意図を気づかせることで、「こんな想いが込められたストーリーだったね」と、それを読んだ人のほとんどが気づけるように仕向けること。自分で勝手に考えたけど。

冒頭で「人生はランニングだ」と書いたところは、自分自身が「読ませる」技術がないことを表している。

あの展開を読んで、読み手の人が「この作者、人生をランニングと見立てているんだな」とか「なるほど。人生ってランニングみたいだな」と気づかさることが優秀な表現だと思う。けど、先に答えを書いてしまったのは、読者にそう読んで欲しいという欲求が丸見えで、自分の表現になんとなく自信がないなとも思う。

もう少し、自分の表現が豊かになれば、物事を断定せずに、意見を読者に委ねられると思う。

「読ませる」ことが重要なのは、やっぱり物語の登場人物に100%感情移入した方が最後まで楽しんで読めるし、物語に読み手を取り込むことができるので、小説には大事なことだと思う。

やっぱり書き出しが好き

前のあとがきにも書いたが、書き出しには拘っている。

今回の書き出しは特に好き。

それは何度も出会ったはずの感情なのに、もう二度と出会う事のない感情のように錯覚してしまう。そんな抱きしめたくなるような愛おしい感情が、生きているこの瞬間の美しさを象徴していた。

感情が昂っている瞬間って、後から考えると充実していたなと思うことが多い。

不安だった頃も今覚えばあどけなくて、何かに怒っていた時も熱中できるくらい没頭していたり。感情が揺れ動いているその瞬間が、一番美しい。ちょっとキザっぽい表現だけど。

その後に続く文にも秘密がある。

二月、夜の冷たい風は街を沈黙させた。

これは又吉直樹の『劇場』に書かれている「八月の午後の太陽が街を朦朧とさせた」という文章から考えた一文である。

又吉直樹の『火花』では、夢路いとし・喜味こいしの漫才が出てくるというちょっとしたオマージュが隠されている。そういうオマージュ遊びのようなものに憧れていた。

ちょっと間違えれば危ない行為だけど、これはユーモアとして捉えて欲しい。まだオマージュする能力がないので、好きな一文を少しだけ言葉遊びさせたような文になったけど、やっぱり自分の文章に好きなエッセンスが加わって表現により愛着が出た。


以上です。もし少しでも作品を見ている方がいてくれたら、嬉しいです。


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