劇場版SHIROBAKOの子供たちの役割

劇場版観てきました。

観たことある人向けの感想です。
やんわりネタバレあります。

まず大好きなアニメの新作が見れるということがシンプルに嬉しい。
これは大変幸せなことですね。

その上で抱く感想としては、アニメ制作群像劇としては広く浅くといった感じでやはりテレビアニメシリーズの比べると物足りなさを感じなかったと言えば嘘になりますかね。

アニメシリーズは特に枚話ラストの次回どうなっちゃうの!?って感じの演出がとても視聴意欲を掻き立てられたので、二時間ぶっ通しは中々神経がつらい。お尻痛くなった。

劇場ではよくも悪くもテレビシリーズのテンプレを二時間の尺に伸ばしたものなので、SIVAのシナリオで悩んでいた舞茸しめじ氏の「どうせハッピーエンドになるんでしょ?」的な葛藤はこの作品そのものの悩みだったのではないかと勝手に思っています。
どうせドタバタしながらも宮森が踏ん張って完成させるんでしょ?と。

まぁそれを面白く仕上げるのがプロの仕事なわけでして、SIVAのエンドロールであれ?もうこの映画終わり?と一瞬思わせるのはミスリードの演出としては良くできていて、この作品のエンドロールでどれだけのカタルシスを得られるかどうかというのは、まぁ人によってぶっちゃけ分かれたのではないでしょうか。

個人的には、SHIROBAKOの面白さは本田さんの「万策尽きた」、名前忘れたけど「変な話」とか、声優会議の「おっぱいでかいし」とか癖のあるキャラクターから来るものが大きかったと思うので、劇場版は物足りなかったと思います、変な話。

さて、この映画の分かりやすいテーマの一つとしては「好きなことを仕事にすること」と「好きなだけでは続けられない、好きなことで何を成したいのか」という挫折と葛藤であることは何となく伝わってきました。

それに対してムサニの元社長さんが明確な問題提示をしているんだけど、それに対する答えというのは意外にもシンプルなものなんじゃないかと思っています。

ところで、アニメシリーズと比較してこの劇場版の大きな特徴は「子供が出てくる」ということではないでしょうか。

アニメシリーズでは大人の世界に入ったばかりの女の子達とその社会を取り巻く「大人の世界観」だった。
それに対して今作では姉森の赤ちゃんが出てきたり茂Gのアニメ教室で子供が沢山出てくる。

そして宮森らは子供達から多くのことを学ぶのだが、子供の行動原理が非常にオーソドックスに描かれている。
おだてれば乗る、煽れば釣られる、好きなものには夢中になる。
この行動原理は、実は大人達となんら変わらないのではないか、と。

具体的には木下監督が嫌なもんは嫌だとと言って駄々をこねたり、ケレンミ遠藤が拗ねたり土壇場でやる気を出したり、山田が天狗になっていたり。

契約だとか納期だとか難しい事情が絡んでいるだけで、やっていることは子供と同じ。好きなことをやっているだけ。

大人の世界は子供の世界と地続きなんだというメッセージが込められていたのではないでしょうか。

元社長も言っていましたが人は前へ前へと進むしかない。そして、後から続く者の道しるべにならねばならない。

だから、SHIROBAKOという作品も大人のオタクだけで楽しむのではなくて、子供達にもアニメ作りの面白さ、大変さ、やりがいなどを届けられればいいのではないか、と子供でも楽しく見られるシーンがふんだんに使われていたのではないでしょうか。
(冒頭の回想や途中ミュージカル調のところ)

まぁ単純に劇場アニメなので子供が観ても退屈しないようにという計らいだったのかもしれませんが、SHIROBAKOという作品を通してアニメ作りに興味を持つ人が沢山増えて大人のバトンを繋いでいければいいですね。

という個人の感想でした。

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