『お酒の経済学』がすごかったので思わずnoteに書く

Twitterでちょっと話題になっていた
都留康『お酒の経済学 - 日本酒のグローバル化からサワーの躍進まで』(中公新書)
を読んでみました。

著者の都留康先生は一橋大学(my母校)の名誉教授で、新潟大学に設立された日本酒学センターでも講師を務められている方です。今年2月の、日本酒造り新規免許に関する日経新聞報道でもコメントを出されていましたね。

一橋大学の都留康特任教授は「クラフトビールは醸造所が競い、市場が活気づいた」と話す。

社会人になってから、「経済学部・商学部の授業をもっと受けておくべきだった」と思うことが何度もあるのですが、今回いちばんそれを強く感じています。(僕は社会学部卒で、社会学部と法学部の授業ばかり受けていました。)

普段は読んだ本の感想やコメントなどはTwitterにそのまま書いてしまっているのですが、すごい本だったので、どの辺がすごいのかをつらつらとnoteに書いてみようと思います。

統計がすごい

まずTwitterでも以下のように書かれている通り、多くの統計データが効果的に引用されている、それもなかなか見つけにくい統計もあるのがすごいです。

僕が見たことのなかった統計を例として挙げてみます。

・1968年の主な「飲酒の場所」(p.7)
→「家庭」が68.8%、「外飲み」は19%だったことが分かる

・1974年と2014年の収入階級別酒類消費(p.11)
→1974年には最下層と最上層がほぼ逆パターン(たとえば最下層は焼酎が極端に多くワインは極端に少ない、最上層はこの逆)であったが、2014年には最上層のみ消費パターンが異なることが分かる

・1955〜1975年の「酒類別一人あたりの消費数量と消費金額の推移」(p.59)
→この期間に、アルコールに使うお金の中心が日本酒からビールに移ったことが分かる

・2000〜2018年の酒類別「米国アルコール飲料市場の推移」(p.87)
→ワイン、ビールに比べ蒸留酒市場が著しく成長していることが分かる

他にも、見たことのなかった統計が掲載されていました。これらについては、詳しい人でも発見があると思います。

「酒ビジネスが分かる」のがすごい

お酒に関する規制や税金といった制度の概要、「そもそもなぜ酒税が徴収されるのか」という考え方や、現行制度の問題点…といったビジネスのうえで理解しておくべき基礎知識も解説されています。

また先ほど触れた統計データからは、国内市場・輸出市場の規模や、「若者の酒離れ」に見られるようなマクロなトレンドも具体的に理解することができます。

さらに、各酒類の代表プレーヤーがとっている戦略や、それが経済学的にどのように解釈されるのかの解説も加えられているので、酒ビジネスのミクロなトレンドも理解できるのではないかと思います。新書一冊で、これだけのことが分かるのはすごいですね。

実際に酒ビジネスに関わる人間としても、たとえば「パック酒の同質化が悪しきコモディティ化を引き起こした」(※)とか「現代の日本酒に見られる伝統回帰は、消費者にとって『機能的価値』ではなく『意味的価値』を高めている」(※)とか、なんとなく「そうだよね」と思っていたことを経済学で権威のある先生が言葉にまとめてくれるのはありがたいですよね。
(※)いずれも引用ではなく、僕が要約したものです。

何となくですが、「酒ビジネス」ってこれまで業界外からの真面目な研究が進みにくいジャンルだったと思うんです。都留先生自身も後書きでこうおっしゃっています。

筆者は、若い頃から各地の日本酒・焼酎の蔵元やビール工場・ウイスキー蒸溜所を訪れることが好きで、いつかお酒についての本を書くことが夢であった。しかし、その夢を長らく「封印」してきた。なぜなら、筆者の専門は人事と組織の経済学であり、その分野できちんとした業績を挙げることが本務だからである。(p.189-190)

(都留先生は立派な方です。僕は「封印」に失敗しました。)

酒の専門家ではなく経済学の専門家が、酒ビジネスについて言語化してくれたことの意義は大きのではないか、と思います

幅広く「日本産の酒」のことを知れてすごい

日本酒、ビール、焼酎、ウイスキーに関して、それらの製造技術やそれがもたらす味わいの特徴、そしてそれぞれの(主に日本における)マーケットをめぐる近代以降の歴史と現代のトレンドについても知ることができます。

上記のように偏りなく様々な観点での記述があるので、ビジネスを抜きにして、教養として幅広くさまざまなお酒のことを知るのにもこの本は適している、と思います。

たとえば、
・日本酒の「並行複発酵」とはなにか
・単式蒸留と連続蒸留の違い
・バーボンとスコッチの味わいの違い
のような基本的な知識だけでなく、

・日本で最初に創業したビール会社はどこか
・焼酎お湯割の「6:4」はいつどのようにして生まれたか
・フランスのウイスキー市場でニッカのシェアが高いのはなぜか
といった豆知識的なことも知ることができます。

日本酒の将来について、現場から考えること

さて、この本ではそれぞれの酒類に関して、未来への展望も触れられています。最後にそれらのうち日本酒に関するものをピックアップして、現場で働くものとしての意見を述べてみましょう。

筆者は、事業承継やM&Aの意義を重視している。だが、日本酒の場合、これだけが新規参入の手段というのは、どう考えてもいびつではないか。(p.178)

日本酒造りの新規参入に対する厳しい規制については、都留先生は本書中で繰り返し緩和を訴えています。これに関しては、僕も全面的に賛成です(ただし、一気に規制を撤廃するのではなく緻密な制度設計を行うべき)。経済学の本で、これだけ積極的に規制緩和を訴えてくれていることは嬉しいですし、心強く感じます。

このため、既存蔵元の内部からイノベーションが生まれざるを得ないという「いびつな構造」があることにも留意すべきである。誤解を恐れずにいえば、「子が優秀だから」成り立っているのが近年の日本酒イノベーションの世界である。(p.51)

参入規制に関連して述べられているこちらの箇所も関係者にとっては、なかなか耳が痛い話ではないでしょうか。現場で見た所感を付け加えれば、「子が優秀」なだけでなく「子が多い」から成り立っている、とも言えると思います。

今は稼働している酒蔵が1,200以上、非稼働のものも含めると1,400程度の酒蔵が存在しています。蔵の事情はさまざまですが、それでも相対的に見れば教育にお金を使える家庭が多いのかな、といろいろな蔵を見て感じています。(教育の重要性を理解している家庭が多い、と言うこともできます。)

普通に考えて1,200以上の家庭で、そこそこの教育コストをかけて後継者を育てれば、(蔵を継ぐ子がいない場合ももちろんありますが)どこかの後継者は目覚ましい成果を上げてくれそうな気もします。ただ、酒蔵の数が半分になった時もそうか、と言われると分からないですよね。少子化も進んでおり、僕の知る酒蔵にも、まだ後継者がいないところはたくさんあります。優秀な後継者が生まれ続けるのは、今のうちだけなのかもしれません。

(ワインと比較して、ペアリングにおいて)日本酒はオールマイティである。あらゆる食材と日本酒とのペアリングのよさを積極的に打ち出すことが必要である。(p.146)

都留先生は日本酒のグローバル化を進める上で重要な価値が「ペアリング」であり、それを積極的に打ち出すべきと主張しています。これについては、僕はやや懐疑的です。

もちろん、部分的には正しいと思います。和食はまだまだ世界に浸透すると思いますし、魚料理を食べる人も増えている中、それらの料理とのペアリングで日本酒が活躍する、というケースはあるでしょう。それによって海外市場でも実績を上げているという側面を否定するつもりはありません。

ただ、それは本書でも触れられている「物の価値」のうちの「機能的価値」に過ぎないように思います。少なくとも一般消費者は、こうした「機能的価値」で商品を選んでいないというのが現場でお酒を売っていて実感することです。さらにいえばレストランも、あまり「機能的価値」では商品を仕入れていないのではないでしょうか。なぜなら「機能的価値」は、本書でも触れられている通り「スペックの集合」であり、すなわち代替可能なものだからです。

実際、「日本酒でなければペアリングできない」というシーンは極めて稀だと思います。和食あれ魚料理であれ、ビールやワイン、蒸留酒やそれらで作ったカクテル、あるいはノンアルコールドリンクでもペアリングが可能であることは、日本に住んでいる我々が体感的に理解していることだと思います。代替不可能なシーンもあるにはあると思いますが、あまりにニッチで経済的にインパクトを及ぼすほどの規模があるとは思えません。

おそらく日本酒に決定的に欠けているのは「意味的価値」の方、つまり「なんとなくカッコいい」とか、そう思わせる力の方なのではないでしょうか。僕はクラフトビールも好きですが、それは「こういう味だから」「こういう料理と合うから」というよりは、端的に言えば「カッコいいから」です。日本酒も、はじめに興味を持ったのはそういう理由からでした。ただ、いま日本酒を「カッコいい」と思う人は、日本人でも珍しい部類に入ると思いますし、海外ではなおさらでしょう。

「カッコいい」酒蔵は、いくつもあります。それでも日本酒総体としての「カッコよさ」、より専門的で広い意味の言葉で言えば「意味的価値」はまだ確立していないと思います。都留先生も、いま使える資源を使う、という意味で「ペアリング」の価値を強調されていたのかもしれませんが、これから本当に日本酒がグローバル化していくためには、「機能的価値」よりも「意味的価値」を追求していくべきではないかな、と思います。

まとめ

というわけで、都留康『お酒の経済学 - 日本酒のグローバル化からサワーの躍進まで』(中公新書)、お酒に仕事として携わる方には特に、そうでなくてもお酒に興味を持つ方にはオススメしたい本でした。

在学中にご指導いただくことはできませんでしたが、今後SAKE Streetの方で何か、先生が「封印」してきた研究のお役に立てるようなことができればいいな・・・と思いました。
何か思いついたら、ご連絡してみたいと思います!

サポートいただけたら、お酒、特に地酒のために役立てられるように活用したいと思います!