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少年院卒が考える教育マガジン

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少年院を出て感じる、子育てや教育環境についてまとめてあります。
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#フリーランス

いじめる側もいじめられる側も経験して思うこと

私は今では想像が付かないほど、内気で無口な子どもだった。 特に両親が離婚してからは、学校へ行っても友人と一言も口をきかない日もあった。 いじめを受け始めたのは両親が離婚してすぐの、小学校4年生から。 中学2年生で非行に走るようになってからは、いじめる側に回った。 昨今のいじめのほとんどが、死に直結するほど陰湿で残酷なものになっている。 悲しいが、いじめがこの世から無くなることはないだろう。 人は人に対し、優劣を付けたがる生き物だ。 特に若い頃は視野も経験も少なく

少年院に入ることは、不幸なことなのか

どう思うだろうか。 一般的に考えたら、不幸なことなのかもしれない。 少年院に入りたくて入る人はいないし、そう望む親もいないだろう。 少年院や鑑別所が必要ない世界なら、どの子どもも幸せに暮らしていけるのかもしれない。 だが、私は少年院出院者として、少年院に入ったことを不幸だとは思わなかった。 「今の私に必要な時間だからここへ来たんだ」 毎晩、無機質な独房の天井を見上げてそんな風に思っていた。 しかし、私のようにポジティブに受け止められる子どもばかりではない。 今

大人にとってどんな子どもがいい子なのか

私の母は、「いい子」という言葉をよく使っていた。 「いい子にしてなさい」 「いい子になりなさい」 「いい子はこんなことしないよ」 「いい子だね」 私は承認欲求を満たすために、母の言ういい子になろうと努力してきた。 だが、残ったものは、母の満たされた心と私の満たされない心だけだ。 いい子という言葉は、子どもを殺す。 しかし、いつの時代も親は「いい子」という言葉を使うものだ。 大人の言う「いい子」とは、どんな子どもだろうか。 親の言ういい子は、(自分にとって都

少年院卒の問題児が大人に求めていたこと

今になって振り返ると、非行に走っていた頃も母や先生に求めていたことがたくさんあった。 構ってほしいという気持ちに始まり、愛してほしい、けれど放っておいてほしいという、様々な気持ちがぐちゃぐちゃになっていたように思う。 特に中学生、高校生の頃は、「自分が今なにを思っていて、どうしたい」と説明するのが難しかった。 しかし、今なら当時の思いを言葉にできる。 問題児の言葉にならなかった声を、今日言葉に変えてみよう。 言葉も支援も誘導も要らないから、そばにいてほしかった 目

教師に金銭的、精神的余裕が必要だと思う理由

少子化に伴い、介護職に勤めている方の給与や福利厚生についてよく議論されるようになった。 私は教師についても、同様に考えてほしいと思っている。 これには理由があって、お金と精神的な余裕が関係している。 金銭的余裕と精神的余裕はいつだってイコール やはり、金銭的余裕のない人間が精神的余裕を保つことは難しい。 余裕のない大人がどうなるかは、挫折を経験した方なら分かるのではないだろうか。 金銭的に余裕があり、社会的に肩書きもしっかりしてる人の家の子どもを想像してほしい。

医療少年院卒を公にしようと思った理由

自分が少年院卒であることを公にするのは、デメリットばかりだ。 私が少年院卒であることを知る人は、現実世界にほとんどいない。 人生を通して様々な経験をし少年院という場所で暮らして、生意気にも子育てや教育について口を挟みたい気持ちに駆られた。 机の上でペンを握っているだけでは分からない、実際のドロドロした部分に気付いてほしいと思ったのだ。 何事もまずは知らなければ、始まらない。 無知は罪だ。知ろうとしないことは、もっと罪だろう。 今日はそんな話をしよう。 日本の少年

少年院卒が断言する、環境と人生は絶対に関係がある

私は少年院に入ったことを、一片も後悔していない。 起こしてしまった事件に対して反省はしているが、後悔することはない。むしろ、少年院に入ったことを有難く思っている。 幼児教育において、親や周囲の環境が与える影響は大きいといわれている。 稀に「そんなの関係ない!」と言う人もいるが、言語道断だ。そういった人は、自分が恵まれていることに気付いていないだけであろう。 今日は、少年院卒として言いたいことがある。 実体験を踏まえた上で、子育てに悩む親御さんたちへ。または、人生に悩