おでん
おでんの汁が芯まで染み込んで、つやつやと光った大根が、箸で割り裂かれていく。断面からホクホクと湯気が上がるのを見て、生まれたてのような大根、と思った。
同じように、たまごとはんぺん。昆布は上手に割れないから、全部そのままあげるよと、片割れの詰め合わせとなった小鉢を手渡された。
甲斐甲斐しいNの仕草に、母親のようなぬくもりを感じて、「優しい」と言ったら、「俺は優しくないよ」と言ってビールを飲んだ。口元がにやけるのを隠しているように見える。
屋外にある、十席ほどのカウンターしかない、小さな店だ。全体がビニールカーテンで覆われている。中にはストーブが置かれているので、冬でも暖かい。
まだ就職して間もない、同年代の友人と行くのは小洒落た店がほとんどだった。Nに連れて行かれる大衆居酒屋や立ち呑み屋は新鮮だったし、その日初めて隣り合った人と会話を交わすなんてことは、自分ひとりではとても出来ない。Nの、社交的で、人見知りをしない性質は昔から変わらない。
Nは、高校の時分の現代文の教師だ。大学を卒業したばかりで、年齢が近い「熱血な教師」は、男子生徒からは友人のように慕われていたが、女子生徒からは疎ましく思われていたようだった。
その頃の私は今以上に引っ込み思案で、学校で言葉を交わす友人も少なく、ただ毎日の授業が終わるのを耐えるように過ごしていた。クラス内でNのことを「先生」と呼び、敬語を使って話したのは、私だけだった気がする。
友人が風邪で一週間ほど学校を休んだときのことだ。私はその友人と昼休みを第二準備室で過ごすことが常だったのだが、しかたなくひとりで弁当を食べた。陽の光があまり入らず、黴のニオイがする、静かな部屋を私は気に入っていた。部屋は、新校舎と旧校舎をつなぐ渡り廊下を渡ったすぐ、旧校舎側にある。同じ階にある音楽室から、トロンボーンの練習する音がプオー、プオー、と聞こえてくる。
体調を崩して休んでいる友人には悪いが、ひとりきりで過ごせる貴重な時間は、とても安らかで幸福だった。私には、学校にも、家にも、嫌な人は居ない。だけど、真に静かな場所があまりに少なかった。
ずっと今この瞬間が続けばいいのにと思っていたところに、古いドアをパシンパシン、と叩く音を聞いた。驚いて音の方を見やると、ドアの窓に男の姿が見えた。Nだった。「俺も一緒に食べていい?」と屈託なく言うので、どうぞ、と返事するほかなかった。
初めは、声も体も大きい男性と一対一で話すことにプレッシャーを感じたが、幸いにもNは話したがりだったから、私が無理して何かを言う必要はなかった。私はただNの話を聞いて、相槌を打つだけで、次々と明るくて楽しい話題が提供された。
今も当時もそうだが、Nの話は事前に準備されたような、「フリ」と「オチ」のあるテンポの良いものばかりだった。Nはある出来事に対して、彼が感じた怒りや感想を述べたが、その言葉はどこからか借りてきた言葉のようであり、そのせいか、あとになって内容を思い出すことが出来ない。
唯一覚えているのは、Nが自身の病気や手術したのを明かしてくれたことだった。その病気の話も明るく話すので、とても意外に感じると同時に、彼の秘密を聞いたような、心の内を明かされたような気持ちになった。
その後もNは、私のことを時折気にかけてくれるような仕草があった。廊下ですれ違うときや、食堂で食事をしているとき、授業中も、決して他人の注目を浴びることのない私が、Nがいる場所では一瞬のスポットライトを浴びた。
自然、私は、Nに対して憧れのような親しみの感情を抱くようになったが、自惚れることもなかった。たいてい、Nがいる場所では、彼は会話の中心にいる人物である。地味で口数の少ない私に声を掛けるのは「おこぼれ」のようなものだと思っていた。
Nと再会したのは、当時の同級生を通してのことだった。卒業して7年経つ。人見知りをする性質なので、再会の喜びよりも、憂うつな気持ちが勝ってしまい、仕事を片付ける手がもたついてしまった。
仕事を終えて駆けつけたのは、路地裏の小さな店だった。「すみません」と謝りながら人の背中を通って、二階までの階段を上がると、部屋の真ん中にドンと掘りごたつがひとつ。その一辺にNがいて、対面に友人のMが座っていた。
店内のディープな雰囲気にも驚いたが、Nの変わりようにも驚いた。当時、痩せていた彼がふっくらと太っており、目尻が下がって優しい顔になっていたのを認めて、一気に緊張がほぐれた。「お父さん」という印象だった。
「綺麗になったなあ」と赤ら顔で言われて、嬉しかったが、当時がひどく地味であったので当然とも思っていた。ただ、何度も繰り返されると、だんだんに自尊心をくすぐられていくのだった。それも、高校当時、見目の良かったMを差し置いて私が容姿を褒められるのだ。
Mは、7年の間にころんと太ってしまった。ずっと自分の容姿に引け目を感じていた私は、自然と他人と自分の容姿を比較する癖がついていた。
今、私は、Mに「勝っている」。それも、他人の目から見て、私のほうが「優れている」と判断された。
浅ましいと分かっていても、心の中で喜ぶのをやめることができなかった。
その日からNに誘われるようになった。Mとも度々会っているようだし、友人の多い彼は性別の垣根なく付き合いをする人なのだろう。あまり気にかけていなかった。当時のように、Nの楽しい話を頷いて聞いていた。時折、私の自尊心を満たすような言葉に、「会えば楽しい」という印象が積み重なっていった。
熱い大根が、食道を通って、胃に落ちていくのを感じる。おいしい。うれしい。私のために小さく大根を切り分ける人がいる。10代の頃の、誰にも認められなかった自分が浮かばれると思った。
Nが、左手の薬指にあった指輪を手の内で転がして、アスファルトの地面にぽとりと落とした。「こんなもん」と言って、二度も地面に落とすのは、さすがにわざとらしい仕草であった。
「部屋に行っても良いかな」
人が変わる、という言葉があるが、まさにそれだと思った。誘いを断った途端、私の世界からNという人は消えてしまった。
次から次へと、新しい特技のように、準備してきた話を披露したN。10代の私も、今現在の私も、すべてを受け止めるように労い、肯定したN。寝る前に他愛のない話で連絡をしてきたN。おでんを小さく切り分けたN。
不機嫌に黙り込んでしまった、もうNではなくなったその人の隣で、私はどうやってその場を切り上げていいか分からなかった。
他人の箸で小さく切り分けられた大根も、はんぺんも、あまりにもみみっちく、汚らしいものに見えて、私の喉を通っていかなかった。
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