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1対10の闘いとは

これ、ディベートの問題というより、フェミニズムが一人一派という問題の方が問題なのであろうと思う。フェミニズムの人はとにかく萌え絵が不快で潰してしまいたいという思いのみがある。そこである人がオタク男に萌え絵を禁止しろ!と叫ぶ。当然、オタク男はそのフェミニストの意見の穴や矛盾点を突くことで撃退する。そしてその攻撃者が斃れると、次の攻撃者が別の理屈を引っ提げてオタク男の前に現れるわけである。フェミニズムは一人一派であるから前の攻撃者との論理的整合性は必要としない。守備者に多方面から無差別に重層的に攻撃を仕掛け続けることで最終的に叩きのめすという方法である。

例えば左派リベラルは右派の電凸はルール違反だと言って非難し、禁止しようとするけれど、自分たちが電凸することは「正義だから構わない」というわけである。そういうことを左派リベラルやフェミニストは当然のことだ、それこそが公正だと平気でいうわけである。

だからフェミニズムとの戦いはルールに則った正々堂々の戦いではなくなる。無法に対しては無法で立ち向かうしかないのである。1対10で戦うときに、10倍の相手の準備が整うまで待って正々堂々と戦おうというのを「宋襄の仁」という。そういう愚かなことをやるのは儒学に凝り固まった人だけである。(宋の襄公は当然ぼろ負けしたのである)

フェミニストや左派リベラル側はオタク男や右派の敗北は歴史的必然だから大人しく軍門に下れ、そうすれば死一等免じて奴隷にして生かしておいてやるというわけである。そういうのに負けてたまるかである。

眉毛をハの字にするとかほっぺを赤らめるのはエロの記号だなんて言われても怯んではいけないのである。そういう記号を決めたのは単に彼女たちフェミニストに過ぎないと言わなければならない。彼女ら、彼らは前後の整合性なくめちゃくちゃなことを言っても自分たちが勝ちたいだけなのである。

彼女たちの理屈にもなっていない主張を全て受け入れるなら、もう「人間」の表現を禁止するのが一番良い。全て禁止してしまえば文句をつける主体がなくなるからである。滅亡に一直線ともいえるが、彼らは崖から海に飛び込むレミングスであるからどうしようもないのである。

上野千鶴子氏も彼女たちに「かわいそうな目にあってきたんだね」というそうである。そりゃ彼女たちは性被害などの辛い目にあって周りの男が全部狼男などの化け物に見えてしまっているわけである。そういうかわいそうな人たちを男の側から救う手立てはほとんどないのである。

男にできることはそういうかわいそうな人たちがこれ以上のひどい目に合わないようにお祈りしてあげることくらいではないだろうか。

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