老人と優生思想

かのALS患者の死について、左派や普段は新自由主義とかリバタリアンとか言っている人が噴飯物の発言をしているのが面白い。まずは、「老人を姥捨山に捨てるのは『優生思想だ』」という人たち。そういう人は人工妊娠中絶にも反対するのかと思うと「それはフェミニズム、産む権利は女性の権利だ!特権だ」と擁護する場合もある。その上で障害児の生まれる権利!と叫ぶのである。

こちらから見ると目を白黒させなきゃいけないわけだが彼らの脳味噌の中ではそれが一本筋の通っているということなのであろう。障害児の生まれる権利を叫ぶなら、ただ親に金がないだけで生まれることなく水子になった胎児たちの生まれる権利も擁護してやればいいのにね。

今、新型コロナウイルスの患者が激増しているけれど、国は緊急事態宣言の再宣言を行う気は無いようである。つまり、感染者の多くが若者だからという理由である。まあ、若者は死なねーだろ、という理由なのであろう。

今後、高齢者層に感染が波及したら死人が続出するのでその時になってから緊急事態宣言を出そうというつもりなのだろうか。若年層に大流行させてしまった後でどうやって流行を収束させるつもりなのかはわからない。

まあ、老人たちが「若者どもが死ぬのは自己責任だ。じゃがわしら高齢者様を殺そうなどとは考えるなよ」って叫ぶと、選挙の得票を考えた政治家たちがぎゃーって動くのかもしれないけれども。

我らは自由主義者だから圧政などごめん、強制も要らない、自分のことは自分で決めるのである。もちろん、自分の命をどう処分するかも自分の自由である。そりゃ神さんの決めた寿命というものがあるのかもしれない。けれども、それを伸ばすことは難しいが、縮めることは自分で決められるわけだ。別に自殺主義者ではないからホイホイ自殺せよというわけでもない。ただ武士道は死ぬことと見つけたりである。死んで花実が咲くものか、というのも間違いない。けれども既に子供も育ったわけである。花実はもう咲かせた後である。

切処に到ればみずからの命など放り出してことに当たるまでのことである。生きるか死ぬかなど二の次であろう。そうすれば不思議に命を拾う者もいる。

命を捨てるべき時に捨てられず、おめおめと我が命大事に何事も達成することもなくひたすら老残の自分の命のみを保とうとする人は、せめて自分の子供に老後の世話をさせろよ。大した価値のない命に他人様の大事な命を使わせるのは本当に無駄遣いというより他はない。若者の命はもっと重要なことに使わせるのが当然である。





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